第一章 地球創造 




 再びスイレイの部屋に集まっての〈エデン〉作りが始まった。
 といってもスイレイは一人黙々とコンピューターに向かっているし、ペルとジュリアはお菓子を食べ
ながらの育児書の勉強会だった。
「ねえ、こどものおやつはビスケットで言ったら、一回0.4枚だって。少ないね。一枚食べたいよね」
 ペルは真剣な顔で、片手に蛍光ペンを持ってノートにメモを取りながら読んでいる。
 そして今口にしたことを書き取ろうとしている様子に、ジュリアはあきれて口を挟んだ。
「ちょっと、ペル。コンピューターのプログラム人格にものを食べさせるつもり?」
「あ、そうか」
 本当に今気付いたらしいペルに、ジュリアは大丈夫か?という目を向ける。
 ノートを覗き込めば、子どもに与えるおもちゃだの、離乳食だのという項目が並んでいる。
「わたしたちが作るのは、イサドラの人格。本物の赤ちゃん育てるわけじゃないんだからね」
「そうだったね。結構読みだしたらおもしろくて、脱線しちゃっただけだよ」
 片膝を立てただらしない格好で本を読むジュリアに不信の目で見られ、ペルは慌てて言い訳をする。
「ジュリアはその育児書読んで、どんなかんじ?」
 話をそらそうと質問すれば、ジュリアが本を二冊並べて見せる。
「結論からいえば、育児書なんて当てにならないってことかな?
 いい? こっちの本には、子どもには自分のことは自分で決めさせることで自立心を育てましょう。
親が規則を作って縛ることは正しくありませんってある。いわゆる放任主義ね。でも、同じ出版社から
出てるこの本には、放任主義は大人の理論であり、こどもは放任されると親に愛情が欠けていると感じ、
情緒が不安定になります。それも深刻になると子どもは自尊心を失う結果となり、現代の犯罪の低年齢
化の一原因ともなりうるのですって書いてある。
 ね? どっちが正しいのよ。とりあえず試してみて、結果を見てみましょうってこと?
 正しい道を教えて欲しくて育児書読むのに、これじゃ導きにもなりやしないじゃない」
 熱心に語るジュリアに、ペルは内心圧倒されて頷いていた。
 いつの間に2冊も読んだのだろう?
 今日のお昼までジュリアは1ページだって読んでいなかったのだし、その後もランチを食べながらペ
ラペラめくっていただけだった。そしてこの部屋に来てから小一時間。お菓子を食べながら読んでいた
だけだ。
 その速読にも理解力にも、ペルはただただ感心するばかりだった。
「だから」
 ジュリアは本をバタンと閉じると、ペルの手元の本も含めて全て袋の中に締まってしまう。
「え? 読まないの?」
「当てにならないものを読んでもしょうがない。それよりも」
 ジュリアは自分の頭を指さす。
「考えよう。わたしたちだって、今まで親に育ててもらって、よかった事とか、こうして欲しかったこ
ととか知識はあるでしょ。それに、育児は大人の理論よりも体感の方が大切な気がする。より子どもの
心がわかった方が、いいと思うのよ」
「そうか。そういえばそうだね」
 納得して頷くペルに、ジュリアが微笑む。
「それにさ、実際に基本的な性格ってあるじゃない。親から受継いだ。この場合、その基本となる性格
はさ、スイレイが作ってるわけでしょ。だから結局スイレイに似た気難し家ができてくる気がするのよ
ね」
ちらっと目線をスイレイに送れば、しっかり聞いていたらしいスイレイが、眉間に皺をよせてこちらを
睨んでいる。
「みてよ、あの眉間の皺。せめてあの顔だけはさせないような対策を立てるのが、わたしたちのするイ
サドラ教育なんだと思うんだ」
 ヒソヒソ話のジュリアが、わざと意地悪な顔をスイレイに向ける。
 その目を気にしながらも、スイレイが目をそらす。
「じゃあさ、ジュリアの思い描くイサドラの理想像ってどんななの?」
「そうね。まず何よりも、愛情を理解してほしいんだよね。愛情って、たぶん自分が愛されているって
感じることから覚えていくんだと思うんだよね」
 真面目に語るジュリアに、ペルは自分の過去を思った。
 自分の過去は、人に愛されて育ったと言えるのだろうか?
 ここで愛されなかったと断言してしまうことは、自分を悲劇のヒロインにするだけの感謝の足りない
行為だとは思った。
 それでも、とペルは思った。
 自分が余りあるほどの愛情を注がれて育ったとは思えなかった。
 自分の中の一番幼いときの記憶。それは、たった一人どこかの病院のようなイスに延々と座り続けて
いる場面だった。
 あれはたぶん2歳くらいのときの記憶だ。
 ソファーの上で膝を抱えて、ただじっとしていた。笑いもせず、泣きもせず、ただ虚空を一心に見つ
めているだけだった。
 あれはどこだったのか?
 今でも思い出せないことだった。
 その後にあるのが、死んだ母と父との思い出だ。
 10歳までは幸せだったと思う。
 お父さんは、余り自分に接触してこない人だったが、それでも大切に扱ってくれたし、手を上げられ
るようなこともなかった。それにお誕生日にって、うさぎを買って、一緒にウサギ小屋を作ってくれた
こともあった。
 あの時は本当に嬉しかったのを覚えている。
 あまり目も合わせて話してくれない父だったけれど、自分のことを大切に考えてくれていたんだなと
分かった瞬間だったのだ。そして、お礼をしたくなって、肩たたき券なんて作って渡したりしたものだ
った。
 ああ、これがジュリアの言う、愛されて愛情を示すことを覚えるってことか。
「おーい、ペル?」
 目の前に手を振っているジュリアに気付いて、ペルは我に返った。


  

「どうした?」
 少し心配げなジュリアの目に、ペルは慌てて笑顔を作った。
「ちょっと昔のこと思い出してただけ」
「昔のこと?」
「うん。死んだお父さんとお母さんのこと」
「ああ……」
 とたんに表情を暗くしたジュリアに、ペルは慌てて言葉を続けた。
「悲しい思い出を思い出したんじゃないよ。わたしのお父さんね、うさぎを飼ってくれてね、一緒にウ
サギ小屋作ったなって。お母さんとは毎朝、暗いうちから起きて草を採り行ったこともあるんだよ」
「へえ〜、うさぎかぁ。わたしはお父さんと毎年サイクリングに行ってたな。お父さんがお弁当まで作
るんだよ。それが毎年ハンバーガー。なんだかでっかいみじん切りの玉ねぎがいっぱい入ってるハンバ
ーグでさ。お父さんの思い出のハンバーグなんだって」
 ペルの知らない、幼い頃のジュリアが頭の中で思い描かれる。
 昔のジュリアは、素直に父ジャスティスに向かって「おいしい」と笑って上げたのか? それとも今
と同じに、ちょっと意地悪な反応で、不恰好なハンバーグに顔をしかめてみせたのか?
 想像だけでもおもしろいように頭の中で動き回るジュリアに、ペルは吹き出した。
「何よ、一人で笑って」
「ちょっとね。ジュリアの言うとおりだね。わたしたちは愛情を注がれて愛し返すことを学ぶんだね」
 その一言で、ジュリアの顔に笑みが浮ぶ。
 その二人の背後に立ったスイレイが、微笑み合う二人を見下ろすと言った。
「思い出話で盛り上がってるところ、悪いね」
 スイレイはノート型のパソコンを手にペルとジュリアの間に立つと、言った。
「ちょっと机の上のお菓子どけて」
 そして出来上がった空間にパソコンを下ろすと、ペルとジュリアの間に座り込んだ。
 ジュリアはそのスイレイを邪魔な奴ねえと顔をしかめて体を寄せた。
 そしてペルは、スイレイの開けるパソコンのディスプレイを見つめた。
「さあ、きみたちに紹介する。イサドラだ」



 スイレイがキーを叩いた瞬間、画面上に一人の女性が現れた。
 浅黒い肌に、プラチナブロンドのショートヘアー。活発そうなきりっと結ばれた口元には、勝気そう
な笑みが浮んでいた。
 スレンダーな長身を包んでいるのは、体にぴったりとフィットした黄色いTシャツとジャンプスーツ。
「こんにちは、スイレイ」
「ああ、こんにちは、イサドラ。今日の調子はどうだい?」
「いたって快調です。ありがとうございます」
 スイレイは二人に目を向けると、どう? と画面を指差す。
「へえ〜、スイレイの理想は、こんなタイプか」
 ジュリアはじっとディスプレイを見つめると言った。
「別にそういうことじゃないよ。ただ大地に密着した〈エデン〉とその地を管理する者って考えたら、
頭に浮んだのが、彼女の姿」
「うん。スイレイの感じ方が分かる気がするよ」
 ペルはうなずくと、ディスプレイに向かって話し掛けた。
「こんにちは、イサドラ。わたしはペル」
「ペル。こんにちは。あなたの声を記憶しました」
 スイレイを見れば、ペルの興奮ぶりに笑顔でもっと話してと促す。
「イサドラ、あなたはとっても美人ね」
「ありがとうございます。あなたはとても可愛い人だと分類されています」
「わたしの顔を知っているの?」
「スイレイが登録しています。そして可愛いと」
 平坦な声でそう告げるイサドラに、スイレイが咳払いをする。
 ジュリアはそんなスイレイをおもしろそうな笑顔で見ると、自分もディスプレイに近づいた。
「イサドラ? わたしはジュリアよ」
「こんにちは、ジュリア。あなたの声を記憶しました」
「ありがとう。それで、スイレイはわたしのことは何と登録してあるのかしら?」
「ジュリアは美しい友人だと分類されています」
「へえ〜、美しい」
 スイレイをからかう色をのせた笑顔で、ジュリアが振り返る。
「でも、美しさは時としてトゲを持つともあります」
「トゲねえ」
「本当のことだろ?」
 スイレイは開き直ったように言うと、じっと両側から注がれる女二人の視線を無視して画面を見つめ
た。
「イサドラ、今の〈エデン〉の時間と天候を。それから〈エデン〉の映像を頼む」
「了解しました」
「現在の時刻は午後6時32分36秒。天候は快晴。そしてこれが現在の〈エデン〉の様子です」
  イサドラの映像が小さく横に寄り、画面中央に美しい景色が広がる。
 浜辺の映像だった。
 広い砂地に寄せては返す波は見たこともないほど深い青。
 だがその背景となっている大地はまだ何も生えていない剥き出しの黒い大地だった。
「まだ海の水が空へ上がって日が浅いから、地面が乾いてきたばかり。だからまだ植物はね。それにま
だ植物の遺伝子入れてないから、発生はしないと思うよ」
 ペルの疑問に応えるようにスイレイが呟く。
「でもこんなふうにちゃんと海と平地と、山に分かれるんだ」
 ジュリアの言葉に、ペルも頷いた。
「本当。水の下は平らかと思ってた」
「海には、海面上の陸地の約一〇倍の体積の水があるんだ。地殻は可塑性のある塊の上に広がってるか
ら、水の重みで山が隆起したり、逆に海溝ができたりするんだ」
「地球ってすごいね」
 それ以上の言葉を探し出すことができず、三人は黙って画面を見つめていた。
 雄大にどこまでも広がる海と大地が、言葉を奪い取っていく。
 その海の向こうにオレンジ色の太陽が沈みかけ、大気も海も次第に茜色に染まっていく。
「はい、これ」
 三人の間の沈黙を申し訳なさそうに破ったスイレイは、ジュリアとペルそれぞれに、1枚づつMOデ
ィスクを手渡した。
「何、これ?」
 ジュリアは裏まで覗き込んでみている。
 ただの何の変哲もない、銀盤の上で虹色の反射を見せるディスク。
 表面に、スイレイの手書きでそれぞれの名前が書いてあるだけだ。
「〈エデン〉にジャック・インするためのパス・ディスク」
「へぇ、随分厳重にプロテクトしてるのね」
「まあね。一応外部からの汚染とかハッキングとかされたくないから」
「ネットにつながってるの?」
「いや、この世界が構築されているハードディスクはカルロス研究所にあるんだ。父さんが一区画貸し
てくれたんだ」
「へえ、じゃあ、別にそんなに厳重なプロテクトは必要ないでしょ?」
 ジュリアはディスクで頬をペチペチと叩きながら言う。
「でも念のためね。研究所のコンピューター自体には研究員なら接続できるんだし、研究所のネットワ
ークはセキュリティーがしっかりしているとはいえ、ブランチが存在するのは確かなんだから」
 全く何の話をしているのかわからないペルは、ただ二人の会話を子どものような居心地の悪さで聞い
ているだけだった。
「これどうやって使うの?」
 初歩的な質問を恥ずかしげに聞いたペルを、二人が同時に見る。
 背の高いスイレイとジュリアに見下ろされる形になったペルが、面目無さそうに肩をすくめる。
「ごめん、機械オンチで」
「そんなことないよ。これをね、パソコンのディスクにセットしてくれれば自動でプログラムが走るよ
うになってるから。それから最初にパスワードの設定があるから、自分の好きな言葉を入れてよ」
「わかった」
 じっとディスクを見つめて言うペルの表情は、いつ噛みつくかわからないオモチャを手渡された子ど
ものようだった。
「それで、これでなにをして欲しいの?」
「ひとまず今は、イサドラといつでも話せるようになってる。今みたいにイサドラといろんな話をして
成長させてほしいんだ」
 スイレイの説明に、ジュリアがおざなりにうなずく。
「まずは、スイレイそっくりの可愛げのない性格を変えてやらないとね」
 ジュリアはどこまで本気かわからない真剣な目で一人頷く。
 スイレイはそんなジュリアをやれやれと呆れた目で見ると、ペルに肩をすくめて見せた。
「ペルはイサドラをどんな子にしたいの?」
「わたし?」
 ペルはいきなりの質問にドギマギしながら上目遣いで天井を見上げた。
「わたしはイサドラを、なにごとも公平な目でみる子にしたいかな。公平って言っても規則一辺倒って
かんじでなくて、何事にも精一杯にあたって、弱いものを助ける正義の味方っていうのかな」
 照れて言うペルに、スイレイがうなずく。
「いいと思うよ。ペルもジュリアも、イサドラをよろしく頼むよ」
 ディスプレイの中で、イサドラもよろしくお願いしますと頭を下げていた。

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