第一章 地球創造 




 分厚い本を机の上に広げ、ペルはそっと机の横に置いた袋にも目をやった。
 同じくらいの厚さの本が、もう4冊積み重なって入っていた。
 昨日ジュリアと図書館に行って借りた本だ。
 誘った方のジュリアは、一人推理小説やらなにやらを借りて帰り、育児書は全てペルに押し付けたの
だった。
「別にペル一人に読んでなんて言ってないよ。わたしの借りたい本が今日は偶然全部揃ってたからさ、
わたしは今日、これを借りていく。そうだ! 学校で一緒に読もうよ。ね」
 だからこうして5冊もの重たい本を持って登校したのだが、考えれば2冊で済んだ話だったのだ。1
冊をペル。もう1冊をジュリアに渡して読めばいいのだ。とんだ無駄骨をおってしまった。
 ランチの待ち合わせまでに少し読み進めようと本を開いたが、やっぱり教室で開くのは少々気の引け
る本だった。
「ペル、何読んでるの?」
 さっそく寄ってきたクラスメイトに、ペルは複雑な表情で顔を上げた。
「『ママ一年生の手引書』? ペル妊娠でもしたの?」
「ううん。まさか!」
 慌てて否定するペルに、クラスメイトの女生徒も「そうよね〜」と微笑む。
「わたしのいとこのジュリアとね、読もうってことになってて」
「ああ、あの派手な子」
 そういうクラスメイトの言葉に乗ってくるイメージはとてもいい印象を持っているとは言えそうにな
かった。
「もしかしてあの子が妊娠したの? だったら納得だけど」
「違うよ! ジュリアはそんな子じゃないよ」
 ムッとした表情になったペルに、クラスメイトも困った表情で言い訳を始める。
「ごめん。知り合いをそんな言い方されたらいい気しないよね。でも、よく違う男の子と歩いてるし、
友達の彼氏盗ったとかよく聞くからさ。でも、ペルの従姉妹だもんね。きっと思い違いよ」
 何も言おうとしないペルに、クラスメイトが席から離れていく。
 ジュリアはキレイな顔で生まれついただけ。それに、ちょっと毒舌で嫌味の一つや二つは言うけれど、
決して悪意を持って人を傷つけるようなことをする子じゃない。
 男の子といるのだって、恋愛関係にあるからじゃない。男の子の方がライトに付き合えるからだ。そ
れを羨ましいからって、ジュリアの品格を下げるような噂を流すなんて。絶対に許せない。
 ペルは本を大きな音を立てて閉じると、袋に詰め、五冊の重みに耐えながら教室を後にした。
 どんなに言葉を尽くしたって、彼女たちにジュリアのよさを分からせることはできない。本当のジュ
リアを知りたいなんて、これっぽちも思っていないのだから。
 悪口を言って、なんとか自分の僅かばかりのプライドを保とうとしている。ジュリアはそれに利用さ
れているだけ。
「何よ! 自分の汚い顔や心を棚上げして!」
 口からついて出た雑言に、ペルははっとして立ち止まった。
 きっとジュリアはそんなことは気にも止めずに鼻で笑い飛ばすだろう。
 それをわたしだけ頭から湯気を立てて怒っているのもおかしいかもしれない。
 そうは思ったが、やっぱり納得できないペルは、重い袋を持ち直すと思った。
 いいのよ。わたしぐらいジュリアのために怒ってやらないと。




 ペルはジュリアと待ち合わせをした中庭のベンチに腰を下ろすと、育児書を開いた。
 意外にも思っていた以上に読みやすく、知らなかった事実の多さに、ペルは集中して読みふけってい
た。
「妊娠2ヶ月の5週目には、もう人間の形になってるんだ。スゴイなぁ」
 胎児の写真を見ながらペルは思わず感動に声をもらした。
 だが、重い本を膝の上に抱えている腕が痺れはじめ、ペルは本から顔を上げた。
 ジュリアとの待ち合わせからもう10分が経っていた。
 時間にはルーズでないジュリアが遅れるのは珍しい。
 授業が長引いているのかな?
 ペルは本をベンチの上に残して、中庭からジュリアの教室へと歩き始めた。
 そして、すれ違った女の子たちの話し声に、ジュリアのいる場所を知った。
「見た? またジュリア、告白されてたね」
「随分もてるよね」
「簡単にやらせてくれるからでしょ?」
「やっぱり?」
「そうでなきゃ、あんな性悪女。ちょっとかわいいだけじゃん」
 今日はどうやらジュリアの厄日らしい。
 ペルは女の子たちを睨みつけたが、本人たちは気付かずに通り過ぎて行ってしまう。
 ペルはロッカールームの前で男の子につかまっているジュリアを見つけて立ち止まった。
 ランチボックスを手に、時間を気にしているジュリアに対して、男の子の方は必死になにかを訴えて
いる。
 ペルは勢いでここまで来たものの、どうしていいか分からずに立ち尽くした。
 ジュリアに声をかけるべきか? でもそれではジュリアにもあの男の子にも気まずい思いをさせてし
まうのか?
 廊下の真ん中で立ったまま逡巡していたときだった。
「あ、ペル!」
 ジュリアの方が気付いてペルに手を振った。
「ほら、おまえがぐずぐずしてるからお姉ちゃんが怒って仁王立ちしてるじゃないの!」
 ジュリアは目の前の男の子の腕にパンチをくれると、その横を走り過ぎる。
「おい、待てよ!」
「待たねえよ!」
 ジュリアは振り向いて男の子に中指を立てる。
「俺とプラム行ってくれるだろ?!」
 男の子の叫びが廊下に響く。
 ジュリアはつと立ち止まると、振り返ってきっぱり言った。
「何度も行っただろ。行かない!」
 そして怒った顔に無理やり笑みを浮かべると、ペルの腕をとって歩き出した。
 早足に引きずられながら、ペルはジュリアの顔を見上げた。
「大変だね。キレイってのも」
「全くよ」
 ジュリアは額に怒りマークをつけながら言った。
「これでまた、嫌な噂が広がるのよ。学校一の色男を振って、いい気になってるって」
 嫌な噂話はジュリアの耳にだって入ってくるのだ。そして、少なからず傷つくのだ。だが、思ったと
おりの次の句が続き、ペルは思わず吹き出した。
「別に目くそ鼻くそに笑われたって、痛くも痒くもないけどね」
「ジュリアらしい」
「そうよ。わたしは孤高の高嶺の花よ」
 得意げに眉を上げて見せたジュリアの顔は、まさしくこの世に一つしかない幻の花のように美しかっ
た。
「その高嶺の花を手にできるのは誰かな?」
 軽口のつもりで言ったペルだったが、前を向いたジュリアの顔が表情を無くすのに気付いて口篭った。
 ジュリアはもてるけれど、男の子と付き合っているという様子はなかった。
 きっとそれは、本気で好きな人がいるからなのだ。
 それに気づいてしまったペルは、無言で前に目を向けると歩いた。
 ジュリアはそんなペルの腕を引き寄せると、その頭を抱いた。
「今、その高嶺の花のジュリアちゃんを独占してるのは、ペルでしょ」
 ペルはその腕の間からジュリアを見上げて微笑んだ。
「そっかわたしか」
「そうよ。もう、おなかすいちゃった。早くお弁当食べよう!」
 ジュリアのお腹が宣言通りにグーとなる。
 二人は顔を見合わせて笑うと、中庭へと歩いていった。
 


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