第一章 地球創造 



 
「ペル〜」
 高校の授業を受けていたペルの耳に届いたのは、ジュリアの小声だった。
 教科書に目を落としていたペルはそっと顔を上げた。教壇には頭の剥げた教師が座り、生徒に朗読を
させたまま眠りこけていた。
「ペ〜ル〜」
 再びした声に、ペルは自分の座る席のすぐ隣り、廊下に通じるドアの隙間に目を向けた。
 そこからキョロキョロと覗くジュリアの目を見つけ、そっとドアを開けた。
 その隙間から教室に侵入したジュリアは、上級生の目も気にせずにペルの机の側に這って来る。
 スカートの裾がその動きでヒラヒラと揺れ、男子生徒の目をひきつけている。
 ペルはハラハラしながらジュリアと教師とを見ていた。
 教師が船を漕いでガクっと肘を落として、おもむろに目を開ける。
 慌てて教科書に目を落としたペルの足元で、ジュリアがおもしろそうにその様子を見上げている。
「はい。よろしい。続きを、アンナ」
 教師は次の朗読の生徒を当て、再びうとうとと眠りにつく。
「何やってるの?」
 ジュリアのその台詞に、ペルは思わず机に伏した。
「それはわたしの台詞でしょ」
「あ、そうか。はははは」
小さな声で笑うジュリアは、しかし酷く楽しげだった。
「今ね、わたしたち自習なの。で、図書館に行く途中」
 ペルは困った妹を見るように苦笑すると、頷いた。
「ペルは放課後何か用ある?」
「別にないけど」
「じゃあ、ゲートのところで待ち合わせしよう!」
「いいけど」
「じゃあ、よろしくね」
 ジュリアはそれだけ言うと、再びドアへと這っていった。
 ドアを通り抜け、トンと音を立ててドアが閉まる。
「そこ、何してる!」
 いつの間に目を覚ましたのか、教師の声にペルはビクっと体をすくめた。
 恐る恐る顔を上げる。
 だが教師の目が向いているのは、離れた席にいた男子生徒二人組みだった。
「今、かわいい女の子がスカートの中味見せて這ってたから」
 ジュリアの後姿を鑑賞していたに違いない。
「何をバカげたことを。見るなら見るで、もっと高尚な幻覚を見たまえ!」
 自分が寝ていたことを棚に上げてぶつくさと文句を言った教師は、鼻息荒く息をつくと、次!と怒鳴

る。
「ペル。つづきを読みたまえ」
「は、はい」
 慌てて立ち上がったペル。
 だが、続きがどこかわからない事実に、思わずジュリアの顔を思い浮かべて恨み言を言いたくなる。
 もう、どうしよう!
 だが、ペルは聞いていなかったとも言えずに、開いた教科書を適当に読み始めた。
 教室の何人かが不思議そうな目でペルを見上げるのが分かった。
 だが、とうの教師は再び眠りに落ちようとしていた。
 きっと彼は生徒の朗読を子守唄にしているに違いない。
 ペルはホッと胸を撫で下ろした。




「きゃーはははは。そんなことがあったの? ごめんごめん」
 ジュリアはジュースを片手に笑い転げている。とても謝っているようには見えない。
「本当に悪いと思ってるの? わたし寿命が縮んだ気分だったのに」
「それはペルがいい子すぎるからでしょ。かわいい顔してるんだから、禿げた教師くらい笑顔の一つで
黙らせればいいのよ」
 真顔でそう言って再び笑い出すジュリア。
「そんなことできないよ!」
「お堅いなぁ」
 ベンチの上でだらしなく足を伸ばして座るジュリアに、ペルはその膝をペシっと叩いてやる。
「今日だって、クラスの男の子たちがジュリアの下着が見えたって喜んでたよ」
 怒った声で言ってやっても、ジュリアは全くそ知らぬ顔で校庭を見やるばかりだった。
「減るもんじゃないし、いいよ」
「よくない! わたしが見せたくないの」
 ジュリアは珍しく声を荒げるペルに、目を見開いて顔を覗き込む。
「なんでよ? さては、ペルは。わたしに恋しちゃってるな。この独占欲め!」
 あくまで真面目に話しを聞こうとしないジュリアにため息をつけば、ジュリアはおもしろがってペル
に抱きついてくすぐり始める。
「ちょ、ジュリアやめてよ」
 急所の腰を掴まれて身を捩れば、弱点を見つけたとばかりにベンチの上でペルを押し倒し、その上に
馬のりになる。
「ジュリア! やめて!!」
 両手を突き出して抵抗するペルの腕を掴んで身を乗り出すジュリア。
 本気で楽しげなジュリアの顔が、ペルの笑いながらも怯えた顔を見下ろしていた。
 だが、次の瞬間、聞こえてきた声に表情を無くす。
「ヤダ、見てよ。ジュリアの淫乱、ついに男じゃ飽きたらずに女にまで手を出してるわよ。男に媚売る
のも上手なら、女を落とすのもお手のもの?」
 明らかに聞こえるように言っているその女の声に、ぺルはベンチに寝転んだまま頭を上げて見た。
 三人の女連れが、徒党を組むようにして立っていた。
 ジュリアと同じ学年で、確かチアリーダーをしている3人だ。ペルにも見覚えがあった。要するに、
男にもてたいがためにチアリーダーになった口の人間だ。いつもかわいい男の子を見てはヒソヒソ話を
する姿をカフェで何度か目にしていた。
 お目当ての男の子がジュリアを好きで、なんてよくある話で、やきもちを焼いているのだとペルでも
すぐに分かった。
 そんな女たちに、ジュリアを淫乱呼ばわりされて、ペルも黙っていることはできなかった。
「ジュリアは!」
 起き上がって声を上げたときだった、後ろからジュリアがペルを抱きすくめた。
 そしてペルの後ろから手を伸ばすと、女たちに向かってCOME ONと妖しげに手招きする。
「羨ましければいつでもお相手するわよ」
 呆気にとられるペルの横で、ジュリアが三人に大きな音を立てて投げキッスを送り、そのキスした手
をペルの口に押し当てた。
 それには三人の女たちも声を無くし、次の瞬間には顔を赤くして足音高く立ち去っていく。
「バカじゃないの!」
 はき捨てるように言ってみても、その顔は隠しようもなく赤く染まっていた。
「本当にレズに目覚めても相手にはしてやらないよ! ね〜。わたしの愛しの相手はペルだけよね」
 背中から圧し掛かってくるジュリアの体重に押し潰されながら、ペルはジュリアの頭を冗談じゃあり
ません! と軽く叩いた。
「何よ。わたしの愛じゃ不満があるわけ?」
 ジュリアの下敷きから抜け出したペルに、ジュリアは胸を張って言う。
 そんなジュリアをほったらかしにして、ペルはカバンを掴むと歩きだした。
「ペル、帰るの?」
「帰るの!」
 まだベンチの上に座っているジュリアを振り返り、ペルが言う。
「はいはい」
 ジュリアは仕方なげに自分もカバンを取り上げるとペルに向かって歩き出した。
 その俯いた顔が少し悲しげに見えて、ペルはジュリアがすぐ側に来るのを待った。
「ジュリア?」
 声をかけたペルに、ジュリアは顔を上げると微笑んだ。
「わたしレズじゃないから。安心して」
「わかってるよ、そんなこと」
 ペルは苦笑しながら、何かを隠そうとしているように見えるジュリアを見つめた。
 だがそんな視線に気付いてか、目をそらしたジュリアが校庭を振り返りながら呟いた。
「二年前まで、スイレイもここでボール追っかけて走ってたことがあるんだよね」
 今は大学に通うスイレイも、元はこの高校の生徒だった。
 そのジュリアのもの悲しい声に、ペルは何と言葉を返していいか分からずに口をつぐんだ。
「なにか悩みがあるの? さっきの子たちのこと?」
 その言葉にきょとんとした顔をしたジュリアだったが、大きな声で笑い声を上げると、顔の前で大き
く手を振った。
「違うよ。悩みなんてありません。今日ペルのとこ行ったのはさ、一緒に図書館に行こうって誘いに行
ったの」
「図書館?」
「うん。イサドラをいい子に育てるための対策立てようと思ってね。育児書とか借りればいいんだけど、
一人だと借り辛いかなってね」
「そっか」
 ペルは笑って頷くと、ジュリアの手をとった。
「手、繋いでこ」
 ジュリアが何かを隠しているのは分かっていた。でも今は詮索をしないでおこう。
 ペルはそう決めると、ジュリアの手を握って歩き始めた。
 その手をギュッと握り返したジュリアに目を向ける。
「ペル、実は本当にわたしのことが好き?」
「う〜ん。どうかな? でも、ジュリアはわたしのこと愛しの相手だって思っていてもいいよ。許して
あげる」
 その軽口にやられた!と額を手で覆うジュリアに、ペルも笑い声を上げる。
 今日はスキップできるくらい気分がいい。
 ペルがそう思ったとき、ジュリアがペルの耳元でささやいた。
「サンキュー、ペル」
 柔らかなその唇が、ペルの頬に触れていた。 

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