第一章 地球創造 



 

「地球って、本当に稀な星なんだよ」
 熱に浮かされた口調でスイレイが言う。
 その目は一心に数字の踊るディスプレイに注がれていたが、きっとスイレイの目には美しい何かが見
えているのだろう。
 ペルはスイレイの横からディスプレイを覗き込むが、やっていることの意味は全く分からなかった。
 そして一緒にスイレイの部屋を訪れたはずのジュリアは、机の上にお菓子を広げて、一人黙々とおや
つタイムを楽しんでいる。
「ペル、このポッキーおいしい!!」
 両手に持った紫色のポッキーを、軽快にポキポキ言わせて口の中に押し込んでいた。
 そんなジュリアのことなど、スイレイは完全に無視。
 高速に動かす指で、なにかを起そうと躍起になっている。
「現在夜の月表面温度を零下173度まで低下させる周期軌道を探して…」
 ぶつぶつと呟くスイレイ。
「月ってそんなに寒いんだ」
「月面の温度は摂氏121度から零下173度」
 愛想なく質問にだけ答えたスイレイの目が、瞬きも忘れて画面に見入っていた。
「月の地球を周る公転周期は27.3日。地球からみたときの月が地球を一周するのに要する時間は2
4時間50分。太陽と地球の引力を相殺して一定の円形軌道を保てる位置と公転スピードを探っていく
と…」
 スイレイが小数点以下が30桁も並ぶ数字を少しづつ動かしていく。
「スゴイ微妙な差が大事なんだね」
「そう。地球だって、地軸が23.4度傾いていなければ、とても住めたもんじゃないんだから。季節
が生まれただけじゃないんだ。綿密な計算の上で。地球も宇宙もなりたっている」
「誰がその計算したっていうの?」
 不意に言ったジュリアが、興味なさげにクッキーをつまみながら言う。
「神だと」
 憮然と言ったスイレイに、ジュリアがせせら笑う。
「科学者の息子が神を語るか!」
「ときに神を否定するほうが非科学的だ! と父が言ってた」
「へぇ、あのカルロスおじさんが!」
 二人の会話を、馴染めない思いで聞いていたペルだったが、不意に目に入った別のディスプレイの映
像の変化に気付いて声を上げた。
「スイレイ! 見て、こっち!」
 混沌とした闇と揺れ動く水に覆われていたバーチャルの世界の地球に、変化が起きていた。
 水が空に向かって吸い上げられるように高く盛り上がり、大きな波を作り始める。
「月の引力の影響だな」
 スイレイは満足げにふふんと笑う。
 そして地球と太陽との軌道計算を始める。
「バーチャルの世界に宇宙の創作まで入ってるの?」
「いいや。そこまでやったらサーバーがパンクしちゃう。これは数値だけ。でも正確な数値を反映して、
はじめて地球が作れるから」
「ふーん。難しいね」
 ペルの素直な感想に、スイレイは思い切り良くキーボードのリターンキーを押すと、大きく伸びをし
た。
「ああ、疲れた」
 目をしばしばさせるスイレイに、ペルが笑い声を上げた。
「すごい集中だったもんね。瞬きもしてなかったよ」
「そうか?」
 スイレイはイスから立ち上がって凝った腰を伸ばす。
「肩でもお揉みしましょうか?」
「お、気が利くね」
 そんな軽口を叩きながらパソコンの前を離れる。
 だが、次に部屋の中央に目を向けたスイレイが見たのは、床一面に広げられたお菓子の袋と、その床
に寝転んで何かを書いているジュリアの姿だった。
「おい! おまえはここに何しに来てるんだ!」
 呆れと怒りを込めたスイレイの声に顔を上げるジュリアだったが、スイレイの癇癪なんて関係ないと
ばかりにプイと目をそらしてしまう。
「だっておもしろくないんだもん。スイレイが一人で興奮してただけじゃない」
「興奮って…」
 絶句したスイレイの横を通り過ぎ、ペルはジュリアの頭の先に立つと、その手元を覗き込んだ。
「何書いてるの?」
 ノートに細かくシャーペンの先を走らせているジュリアが、顔を上げてへへへと笑う。
「だめ! 完成したら見せる」
 スイレイはドカリと床に腰を下ろし、不機嫌な顔をしつつも菓子に手を伸ばす。
「あ! 文句言うくせにお菓子は食べるんだ!」
 飲み込みかけていたお菓子にむせながら、スイレイがジュリアを睨む。
「これ全部おまえだけのおやつかよ」
「わたしとペルのおやつ!」
 当然のことを聞くなという態度で再びノートに目を落としたジュリアに、スイレイがお菓子を見つめ
たまま手を引っこめた。
 そんなスイレイの姿に、ペルは思わず吹き出す。
「食べていいよ、スイレイ。頭脳労働すると糖分が欲しくなるんだよね」
 そんな救いの言葉に笑顔を向けたスイレイだったが、チロっと振り向くジュリアに不快げな皺を眉間
に寄せる。
 幼馴染ゆえの遠慮のない意地の張り合いをする二人を、ペルは羨ましい気持で見下ろしていた。




「よし! できた!!」
 勢いよく上体を起したジュリアは、ジャーンという効果音つきでノートを二人の前に突き出した。
「なんだよ、それ」
「かわいいね」
 二人がそれぞれに述べる感想を聞きながら、ジュリアがクッキーをつまむ。
「スイレイ。〈エデン〉の情報量はもうかなり膨大よね」
「そりゃね。そろそろ全てを追いきれなくなるね。だから独自に成長を遂げるA‐LIFEを採用して
る」
「そう。でも、〈エデン〉というバーチャルの世界の発展を記録・観察・管理することは必要なわけよ
ね」
「そうだな」
「どうするつもり?」
「管理プログラムを組むよ。勝手に発展してくださいって言うんじゃ、〈エデン〉を作った意味ないか
らな」
「そうよね」
 矢継ぎ早にされる会話の攻防に、間に挟まれたペルは顔を右往左往させる。
 そしてにんまりと笑ったジュリアと目が合う。何かをたくらんでいる目。
「その管理プログラムに人格を持たせるっていうのはどう?」
「人格を?」
「そう。〈エデン〉を管理するスーパバイザ―」
 この提案にはスイレイも即却下は唱えなかった。
 腕を組んで、考え込む。
 ペルは二人の会話に必死についていこうと頭を巡られながら、質問した。
「人格を与えるって、つまり、コンピューターの中に一人の考える能力を有した存在を作ろうってこと
?」
「そう。知能と思考パターンを育て上げて、〈エデン〉を親身になって世話、管理するシステムよ。ス
イレイも、ただの数値として〈エデン〉を扱うだけのプログラムにはしたくないんじゃないの? だか
ら、こんなに手間をかけてまで、忠実に地球の再現を試みてる。ただキレイなだけの地球が欲しいなら、
バーチャルの世界でゲーム感覚で作れば簡単だもの。でも、それは見せかけのまがい物であって、決し
て生きているとは言い難い。そういうことでしょ?」
 稀に真面目な理論展開を見せるジュリアに、スイレイは何も言えないまま頷いた。
「〈エデン〉の中で生まれた生命だけを生き物と認める。ただ構築したプログラムとしてではなく。ぼ
くはそう考えている」
「だったら、管理するプログラムにも、その理念を当てはめたらいいんじゃないかしら?ただの血も涙
もないプログラムではなく、より人間的な管理プログラム」
 手振り身振りで熱弁するジュリアの横で、その熱心さに怪しみつつ、ペルはその手元のノートに目を
やった。
 先ほど見せられたのは、キレイなお姉さんの絵だった。
 白衣に銀縁眼鏡、長い髪は片側で結わえられ、クルリとカールした毛先が肩先で跳ねている。蠱惑的
に微笑んだ右目がウインクを送っている。
「ジュリア、この絵のおねえさんはその管理プログラムとどう関係するの?」
 ペルはジュリアの手元のノートを指して言った。
「よくぞ聞いてくれました!」
 ジュリアはそう叫んで再びノートを差し出すと宣言した。
「〈エデン〉のスーパバイザ―のイサドラちゃんです!」
 スイレイの目は点に、ペルは大げさなほど納得と頷くのであった。




「絶対にそんな低脳そうな女は嫌だ!」
「ああ、それ差別発言! スイレイはこういう自立したかんじの女性が嫌いなんだ。そうか、ロリコン
かぁ!!」
「どうしてお前はそうやって論理を飛躍させて、人をおちょくるんだ」
「別におちょくってなんかないもん。事実を述べただけで」
「どこに事実があるんだ!!」
 背後で喧喧諤諤の言い争いを続けているスイレイとジュリアをよそに、ペルは三機のコンピューター
の前に座ってディスプレイを見つめていた。
 大きく波打つ水の深みの向こうに、わずかにぼんやりとした光が現れる。
 恐らく太陽の光だ。
 地球が自転して、太陽に顔を向ける時間がきたのだ。
 ぼんやりとした厚い雲に覆われた空に上った太陽。
 次第にその雲に似た靄が、急速に蒸発を始める。
 どんどんと靄が上へ上へと吸い上げられ、水の表に今までにはなかった澄んだ大気が現れていた。
 ほんの少しの大気の層。
 だがそれは大きな一歩のはずだった。
「スイレイ!」
 ペルはディスプレイを見つめたまま、背後で言い合いを続けるスイレイに声をかけた。
 目を離すことができない。
 その気迫が伝わったのか、スイレイとジュリアがペルの横に駆けより、一緒になってディスプレイを
見つめた。
「海と空が……」
 ただただ黒い、光の射さない地球であった〈エデン〉に変化が訪れようとしていた。
 水蒸気となった水が太陽の熱で膨張した空気の中に吸収されて、透明になって消えていく。
 透明度を増していく大気が、海の上から次第に加速度をつけて上へ上へと広がっていく。
「……」
 三人はただ、声もなくその様子を感動の中で見つめていた。
 青い空が現れる。
 そして、はっきりと姿を現した太陽。
「……やった……」
 スイレイの最初の歓喜の声は、呆然の中でささやかれた。
 だが、三人の目が合った瞬間には、大きく弾けた喜びに手を取り合って飛跳ねた。
「やったあぁぁぁぁ!!!」
「おめでとう、スイレイ!」
「やるじゃんか、天才!」
 太陽に照らされた海の波が、煌きを発して青く輝く。
「これから忙しくなるぞ!」
「そうね。まずはイサドラを完成させなきゃ」
 喜びに紛れて断言したジュリアに、スイレイとペルが沈黙する。
「何よ。反対する気?」
 ペルがわたしは知らないという顔でスイレイを見やれば、機嫌の良さそうな笑みを口角にのせたまま、
考え込んでいた。
「イサドラね。…わかった。名前と人格を与えることには賛成しよう」
「名前と人格付与だけ?」
「そう。ここまで〈エデン〉を育てたのはぼくだから、イサドラの外見もぼくが作る」
「え〜! 」
 大きく反論の声を上げながらも、ジュリアも妥協するのが懸命かもという空気を漂わせる。
「じゃあ、わたしたちに人格形成はやらせてくれるってことなの?」
 ペルが二人の間を取り持つように言った。
「そうだね。イサドラは女の子なんでしょ? だったら二人にイサドラの母であり、姉であり、友であ
る存在になってもらって方がいいんじゃないかな? 基本設定はぼくの方でするけど」
「うん。楽しそうだね」
 すごく楽しそう!
 ペルは久しぶりに湧き上がってきた好奇心に目を輝かせてジュリアを振り返った。
「二人でイサドラのお母さんになろうね!」
 そのペルの楽しい遊びを見つけた子どものような素直な反応に、ジュリアも仕方なしと頷いた。
「しょうがないか。でも、イサドラは美人に作ってよね」
「わかった。まかせなさい」
 三人は合意すると、〈エデン〉を作り上げるチームとして手を握り合った。
「いいものを作り上げようね」
 珍しくリーダーシップをとって宣言したペルに、スイレイとジュリアが笑顔で頷く。
 まだ命は育っていない〈エデン〉。
 だがその輝きは宝石のようだった。



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