第一章 地球創造 




 細く開けた扉の隙間から、カタカタという音が聞えてくる。
 明かりはない。
「ちょっと、ジュリア。こんなのよくないよ」
 ヒソヒソというペルに、ジュリアは口に人差し指を立て、「シー!」と睨む。
 部屋の中をチラッと覗いて、壁にへばり付いた状態に戻る。
「音はするけどスイレイが見えない」
「人の部屋を覗くなんて、ダメだよ!」
「別に犯罪じゃないわ」
「でも!」
「ああ、そうね。スイレイが素っ裸で着替え中とかに出くわすのはいただけないなぁ。ああ、あとさ
、やっぱスイレイだって男だから、エロ本とか眺めてても」
「……」
 ペルはもう何も言えずに絶句するだけだった。
 それでも顔が赤く火照っていく。
「ヤダなぁ、ペル。もっとHなこと考えちゃった? やっぱスイレイだって男なんだから、あんまり買
いかぶっても幻滅するだけ」
 切々とペルに言って聞かせていたジュリアの背後で、勢いよくドアが開いた。
「……ジュリア。……内緒話なら、もっと小声でしてくれないか?」
 ジュリアの頭をガシっと背後から掴んだスイレイが、大きなため息をつく。
 スイレイと目があってしまったペルは、思わず顔を赤くして目をそらした。
 とんでもない会話を聞かれてしまった。
 ペルは恥ずかしさに目をあわすこともできなかった。
 ペルが居候している家の一人息子、スイレイ。
 優しい面差しの彼が、ペルの反応にクスっと笑って壁に寄りかかった。
「頼むからジュリアさぁ〜。ペルにおかしなこと吹き込むなよ。おまえと違って純真なんだから」
「あら? おかしなことってなによ! それに、人聞きの悪いこと言わないでくれる? こんなに可愛
らしくて純真な女の子を捕まえて!」
 本気なのか冗談なのか分からない顔でスイレイに詰め寄ったジュリアが、ヒョイっとスイレイの肩越
しに部屋を覗き込んだ。
「スイレイこそ、真っ暗な部屋で何やってたのよ! 怪しいなぁ」
「別に怪しいことなんてしてないさ。ちょっと夢中になってて時間が経ってるのに気付かなかっただけ
」
「夢中って?」
 そこでニヤっと笑ったスイレイが顎で部屋の中を指し示す。
「見てけば?」
 目の合ったペルにも頷き、どうぞとドアを開けてくれる。
「いいの?」
「本当に見られてやましいことなんてないから安心して」
 スイレイはそう言ってペルに手を差し出した。
 ペルはその手を握ると、スイレイに導かれて部屋の中へと入った。
 スイレイの手。
 父と母に別れを告げた後、初めて触れた手がスイレイの手だった。
 大きな温かい手だった。
 きっと言ったら苦笑されそうだが、ペルにとってスイレイはお父さんの手だった。
 たったの2歳しか違わないお父さんなんていないけれど。
「うわ。コンピューターオタク!」
 部屋の中にいち早く入ったジュリアが声を上げる。
 部屋の中には、三機のコンピューターが青白い光を灯していた。
 ワークステーションとして組まれた三台のコンピューターが、それぞれに映像を映し出していた。
 一台のディスプレイに映っているのは、ぼんやりとした光がたゆたう中で黒い水が揺れ動く映像だっ
た。
 そして、二台目にあるのは上から惑星の名が並び、その横では高速で30桁ほどの数字が入れ替わっ
ている映像だった。
 最後の一台には二重螺旋のモデル。明らかに遺伝子の構造を示した映像が回転していた。
 パチっと部屋の電灯をつけたスイレイを、ペルは尊敬の目で見つめた。
「何してるのか分からないけど、スイレイってスゴイんだね」
 ペルの賞賛に、気を良くした風に眉を上げて見せたスイレイ。
 だがその得意げな顔にジュリアが横槍を入れる。
「なんか怪しげで凄そうに見えるけどさ、本当にスゴイわけ? それともただのCG作成?」
 ペルの肩にとり付いて背後から顔を覗かせるジュリアに、スイレイは不敵に笑って見せた。
「地球の再創造。といったらその凄さがわかるか?」
「再創造?」
 きょとんとした顔の二人に、スイレイは机の上の分厚い本を手に取った。
「世界で最も頒布され読まれている本は?」
「聖書」
 ジュリアの答えに、先生のように「よろしい」と頷いたスイレイが手にした黒い本を開いた。



「はじめに神は天と地を創造された」
「創世記?」
「正解」
 そのやり取りを聞きながら、ペルは一台目のコンピューターのディスプレイに目を戻した。
 霧とも靄とも、はたまた闇の中にある水槽の中ともつかない映像が揺れ動いていた。
「地に形がなく、広漠としていて、闇が水の深みのおもてにあった」
 ペルはその映像を見ながら、スイレイが口にした聖書の言葉を続けた。そして、目のあったスイレイ
に、自分の目にしていたコンピューターを示した。
 スイレイが嬉しそうに頷く。
「うそー!! スイレイ、神になるつもり?!」
 ジュリアが叫ぶ。
「まさか」
 スイレイは聖書を机に戻してコンピューターに近づくと、DNAの螺旋階段を示した。
「ぼくは神がこの地に創りたもうたものを真似て再現してるだけ」
「でも、それってスゴイことでしょ」
 ペルはスイレイの横顔に見とれながらつぶやいた。
「たぶん」
 イスを反転させ、ペルとジュリアに体を向けたスイレイが、「どうよ」と両手を胸の前で開いて見せ
る。
「うん。スゴイよ。スイレイ!」
 はじめて賞賛を口にしたジュリアが、スイレイの開いた手の中に飛び込む。
 イスの上の不安定な体勢で飛び込んできたジュリアを抱きとめたスイレイが、満足げに満面の笑みで
笑う。
「たぶんもうすぐ水が天と地に分かれる」
 先の展開を口にしたスイレイに、ジュリアはその胸に手をついて上体を起す。
 そして、目の前にあるスイレイの顔をじっと見つめた。
「わたしにも、やらせて!」
「え?」
 真剣な表情のジュリアに、スイレイが目を見開く。
「ねえ、ペルもやってみたいよね。新しくてキレイな地球の姿を作り上げてくなんてすごい遊び、他に
ないよ!!」
 今度はペルに駆けより、その手を取ってブンブン振り回して叫ぶジュリア。
「わ、わたしに、できるのかな?」
 体をあっちにこっちにと振られながら、ペルが言った。
「大丈夫だよ。なんてたって」
 イスにふんぞり返るように座って二人を見上げていたスイレイを、ジュリアがニヤリと見つめる。
「ここに天才先生さまがいるんだから」
 ジュリアはペルの顔を抱き寄せると、自分の頬をペルの頬によせた。
「どうなの? 大先生? こんなに可愛い女の子たちが頼んでるのよ。わたしたちを邪険にして、また
むっつりと一人部屋にこもってるつもり?」
 スイレイは苦渋の表情で、腕を組んだ。
「…ジュリア、これ、お遊びじゃないんだけど」
「真剣にやればいいんでしょ」
「知識だって……」
「それはおいおい勉強してくわよ。わたしだってペルだって、結構頭いいのよ」
 口でジュリアに勝とうとしても無駄なことを知っているスイレイは次第に声を弱めていく。
 そして、ペルもその攻防をただ無言で眺めていた。
「……わかった」
 ついに折れたスイレイに、ジュリアは「やった!」と声をあげ、ペルの頬にキスをした。
「ただし!」
 スイレイは浮かれ喜ぶジュリアに人差し指を向ける。
「ぼくの許可なくこの部屋に入って、勝手にこの〈エデン〉を操作しようとしないこと」
「OK,OK」
 安易に返事を返したジュリアに、スイレイがため息をつく。
「ため息をつくと幸運が逃げちゃうんだって」
 不意に口を開いたペルに、スイレイは顔を上げ、微笑んだ。
「じゃあ、逃がしちゃった」
 そう言ったスイレイの横に駆け寄ったペルは、ジュリアに教わったとおり、スイレイの前の空気を吸
った。
「スイレイの幸運、もらっちゃった」
 嬉しそうに言うペルに、スイレイは笑顔のままその頭に手を置いた。
「ジュリアの監視頼むね」
「うん」
 小声のやり取りに、ジュリアが横から顔を覗かせる。
「何、何?」
 笑顔のジュリアの鼻を、ペルはポンと押した。
「わたしとスイレイの秘密」




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