第一章 地球創造 


1



 こじんまりとした、だが心地のいい部屋の中で、少女が一人、真剣な表情で机に向かっていた。
 レースのカーテンの向こうがすでに闇に落ちているのにも気付かず、一文を書きつけては、次の文に
迷ってシャーペンを頬に当てる。
 スタンドの発するオレンジ色の光に浮かぶ色白の顔には、眉をよせた思案げな表情が浮かんでいた。
 小さめの口からため息が漏れる。
「何、ため息なんてついてるのよ、ペル」
 予想外に背後からした声に、ペルは大きく体をビクっとさせて振り返った。
「あれ? 気付いてなかった?」
 クッションを抱えて床に寝転んだ少女が、マンガ本を読みながらペルの顔をチラリと見やった。
 床に広がった長い髪と切れ長のオリエンタルな美貌の少女ジュリア。
 まるで雑誌の中のモデルみたい。
 ペルは自分をびっくりさせた少女にちょっぴり腹を立てながらも、心の片隅でそんなことを考えてい

た。
「ペル、知ってる? ため息ってつくと幸運が逃げて行っちゃうんだって」
「そうなの?」
 そこでパチンとマンガを閉じたジュリアは、勢いよく立ち上がると、ペルの前に立った。
「ペル、ため息ついて」
 ?
 ペルは疑問に思いながらも、言われた通りにため息をついた。
 そのペルの眼前に顔を近づけたジュリアが、スーっと息を吸い込んだ。
「ペルの幸運はわたしが吸っちゃった!」
 得意げなジュリアの顔に、ペルが苦笑する。
「わたしの幸運なんてご利益ないよ。ジュリアの方がわたしより幸運をいっぱい持ってるでしょ?」
「そうかな? じゃあ、おすそわけ」
 そう言ってジュリアがペルの前でため息をつく。
「ほら、ペル、吸わないと幸運が逃げてっちゃうよ!」
 真顔で言うジュリアに、ペルは微笑みながら目の前の空気を勢いよく吸い込んだ。
「はい。ペルの中にわたしの幸運が入ったよ」
「ごちそうさまです」
「え? ペル幸運食べちゃったの?」
「…食べて消化したら、幸運が身となり血となり」
 真面目顔で言うペルに、ジュリアが笑い声を上げた。
 それにつられてペルの顔にも笑顔がうかぶ。
 その顔を見届け、ジュリアはペルの横から今しがたペルの書いていたものに目を向けた。
「手紙?」
 机の上に広げられた花柄の便箋は、何度も書き直したらしく、たくさんの消しゴムカスの下になって
いた。
 ペルはその便箋を、消しゴムのカスを撒き散らしながら慌てて裏返した。
「ラブレター?」
 気まずい空気を紛らわすように、ジュリアが軽口をたたく。
「違うよ」
 ジュリアは何も言わずに口元に笑みを浮かべた。
 そして再びクッションを抱えて床に座ると、自分を目で追ってきたペルの顔を見つめた。
「ローズマリーおばさんにでしょ」
 笑みが浮いたままのジュリアの顔。 
 その表情を窺いながら、ペルがうなずいた。
 ジュリアがローズマリーを嫌っていることは、ペルもよく知っていた。
 ジュリアにとっても伯母にあたるローズマリー。
 繊細な愛情を注いでくれる父ジャスティスとは全く違う、勝手気ままな伯母を、無視することもでき
ないほど軽蔑していることを、ペルはよく知っていた。
「なんであんな人に手紙なんて書くのよ。書いたって返事なんて来ないわよ」
「うん。一度も返事は来ないよ」
「ほらみなさいよ」
 ジュリアの目が意地悪そうに細まる。
 だがその言動に肩を落としたペルに気付き、ジュリアは困ったような怒ったような表情を浮かべる。
「いったい何書こうとしてたの?」
「何って……この頃学校であったこととか、この家であったこととか、食べた物とか……」 
 言いながら、書いている内容の稚拙さに気付き、ペルの声が段々小さくなっていく。
 その気弱な反応に、ジュリアがため息をついた。
「ジュリア、幸運逃げちゃったよ」
「だったらペルが吸いなさいよ」
 苛立たしげな声に、ペルは上目遣いでジュリアを見上げながらスッと空気を吸った。
 その行為がペルの気持を動かしたのか、珍しくテヘっと笑うと言葉を続けた。
「あとね、ジュリアにいじめられたことも書いた」
「はあ?」
 ジュリアが顔に似合わないしかめ面でペルの眼前に迫る。
「いつわたしがペルをいじめたって言うのよ! こんなに可愛がってやってるのに」
「わたしの方が年上だよ」
 クスクスと笑い声を上げるペルの頭を抱え込み、ジュリアがその頭にぐりぐりと拳を押し付ける。
「今日の折檻はこれで終了」
 ペルの頭を離したジュリアは、笑顔になったペルにうなずくと、背を向けた。
「ペル。マリーおばさんに手紙書いたっていいんだよ。それでペルが傷つかないなら。でもさ、手紙は
書いたら返事を期待しちゃうでしょ。叶えられない期待はさ、本当に痛いから。心にね。だからさ」
「大丈夫だよ」
 ペルがジュリアの背中に言った。
「マリーおばさんには何の期待もしてないよ。ただね、血縁でもないレイリおばさんがしてくれたこと
をおばさんには報告しとかないといけないから。それに、たまに手紙に欲しいものとか書いておくと、
買って送ってくれるし」
 ペルの声は真実を語って、静かに落ち着いていた。
 偽りはない。
 ローズマリーを愛してはいない。
「そっか。余計なこと言ってごめん」
「ううん」
 背を向けたままのジュリアにペルが首を振る。
「ありがとう」
 ジュリアはその言葉に大きな動作で振り向くと、ペルの手を取った。
「ちょっといたずらに行こう!」
「いたずら?」
 ジュリアがペルの手首をつかんで、勢いよく走りだす。
 バタンと閉じられたドア。
 その勢いにヒラリと手紙が舞った。
 その便箋の一行目に迷って書いた文字が躍っていた。



―― わたしはここで幸せに暮らしています。
   心配しないでください。
     ひとりでいることには慣れているから。






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