第六章 希望は優しさを、失望は隠された本性を




 火床の上に枯れ草を敷き、枯れ枝や割った木を積み上げていく。
「火、点けないの?」
 振り返って言うローズマリーに、フェイは得意満面に手に持ったものを掲げてみせる。
「なにそれ」
 フェイが手に持っていたのは、枯れ木の先に逆剥けのような傷をランダムに入れた棒だった。それを
嬉しそうに掲げる姿は、魔法のステッキを手に変身と唱える子どもそのものだった。
「フェイ作、魔法のファイヤースティック!」
 自分でも思っていたらしく、ブンと振ると腰をくねらせてホーズを決める。
 その馬鹿げた姿に冷えた視線をくれたローズマリーだったが、「あれ、外した?」と頭を掻く姿に笑
ってやるつもりのなかったローズマリーもプッと吹いてしまう。
「で、その魔法のスティックは何の役に立つわけ?」
 ローズマリーを笑わせることに成功したことに再び笑みを見せていたフェイが、得意顔で説明を始め
る。
「こんな風に切り込みを入れておいてやると、火を移らせるのが楽なの」
 そしてポケットからマッチを一本取り出すと、積んでおいた枯れ草の点ける。
 みるみるうちに大きくなっていく火に、フェイはショーを始めるように、ローズマリーの視線を自分
に向けさせる。そしてマジシャンのように妖しい手つきで火の中にマジックスティックを投入。
 するとなかなか火床に乗せた枝には火が燃え移らないというのに、スティックからはパチパチと音が
すると、あっという間に火が移って赤く変色していく。
「へぇ」
 確かに言われれば燃え移るのが容易そうな構造だが、なかなか思いつかない方法に感心して頷く。
「ね、ね。俺が考えたの。すごくない? サバイバルの達人?」
 ローズマリーの感心が買えたことが嬉しいのか、フェイが興奮していう。
 その無邪気な喜びように、ローズマリーも冷や水をさすのも悪いと、肯定はしないまでも苦笑いだけ
は返してやる。
「サバイバルの達人かは火を起せただけじゃ分からないけど、またピクニックするときにはフェイを誘
うわ」
 何気なく口にした一言だったが、その一言に素早い反応を見せてフェイがローズマリーを見下ろす。
「またって、またやるの? 本気で言ってる? ただの社交辞令?」
 やけに必死に言うフェイに、ローズマリーが火床を指差す。
「ほら、魔法スティックが落ちそうよ」
 赤く焼けたスティックが、手にしたフェイが動くものだから転げ落ちそうになっているのに気付いて
ローズマリーが言う。一応火種が舞っても簡単に燃え移らないように、周囲の草はローズマリーが抜い
てあるのだが、それでも心配だ。
 自分の質問を流されたことに眉間に皺を寄せてローズマリーを見たフェイだったが、自分でも危険だ
と思ったのかきちんと火床にマジカルスティックを差し込むと、これで文句ないだろうという態度で正
面からローズマリーに向き直る。
「で、質問の答えは?」
 問われたローズマリーは、赤く色づき始めた火床を眺めながら、横目だけでフェイを見ると、さっと
目をそらす。
「社交辞令。………じゃないわよ。本気よ」
 社交辞令の一言からの間の間だけで、フェイの顔が一喜一憂しておもしろいくらいに変化する。落胆
に肩を落としてため息をついた口が、今度はにまにまと笑ってローズマリーの横顔を眺めている。
 だがその横顔がいやに真剣な硬い顔であるのに気付いて、にやけを引っ込めると、横からローズマリ
ーの顔を覗き込む。
「キャンプっていうハッピーワードのわりに深刻な顔してるのは?」
 火を瞳の中に映し込んだローズマリーを見つけ、フェイが尋ねる。
 その目を見返したローズマリーが、火から少し離れると、並べておいたイスの一つの腰を下ろす。
「わたしの初めて担当した小児科に入院している女の子と約束したのよ。元気になったら一緒に行こう
ねって」
「うん」
 自分のことを話すことがあまりないローズマリーだけに、フェイも初めて聞く話だった。ジャスティ
スからは、今病院の実習をしているから忙しいみたいだとは聞いていたが、実際にその話をローズマリ
ーの口から聞くことはなかった。
 フェイもローズマリーの隣りに座ると、楽しそうには見えない顔色を窺って見つめる。
「その子、悪いの?」
「ううん。白血病で結構大変な病状だったんだけど、骨髄移植がうまくいってね、回復に向かってる」
「だったら………。なんでそんな顔?」
「うん」
 ローズマリーが自分の中で何かを反芻するように黙り込む。
 その目の向こうでは、木に燃え移ったのだろう、火の粉がパチパチと音を立てて舞い上がっては消え
ていく。美しく勢いよく大気の中を昇っていき、だが儚く一瞬で消えてしまう火の粉。
「医者になったって、現代医学をもってしても、全ての病気を世界から無くせるわけじゃないってこと
は分かってる。だからこそ、より進歩を目指して研究しがいがあるんだって。でもね、現実で苦しんで
消えていくしかない命を抱えて生きている子どもたちを見ると、自分の無力に苦しくなる。……それに、
あの子たちに比べてただ体が丈夫だというだけで、楽しんで笑っていられる自分が、何の価値があって
生きることを許されているんだろうと思えて」
 こんな場所で言い出すことじゃないけどねと弱く笑ったローズマリーに、フェイは気にするなと笑み
を返す。
「昨日カルロスと行った病院で見たのよ。まだ小さい子どもがね、いい子にしていたら、神様が自分の
病気を治してくれるかなって言いながら、絵本を読むの。他の子が、いい子にしていたらおもちゃを買
ってもらうことなんて言ってるときに、生きることを願う。なんて不公平なんだって思うのよ」
「うん」
 頷く事しかできずに、フェイは黙って聞いていた。何か気の利いたセリフなど出てきようもなかった。
実際に自分が見たわけでもないし、どれほど重い病気なのかも知らない。そんな小さな子どもが生き死
にの現場にいるのを見たこともない。
 だがこの世が不公平に満ちているということなら分かる。誰もが当たり前に与えられているものが、
自分にないことの憤りなら自分も知っていた。
 けれどもとフェイは思って自分の手を見下ろした。こうして自分は健康で自由に歩き回り、なんでも
できる体を持っていて、大好きな人が目の前にいる。
 そのことに感謝できる。
 じっとローズマリーの横顔を見つめると、視線を感じてローズマリーが振り向く。
 その頬に手を伸ばし、顔を寄せると口づける。そっと触れるだけの、だが長いキスに少し唇を離すと
息を吸う。
「なんでキス?」
 ほんの数ミリの距離で囁かれたローズマリーの声に、手を添えた頬を指で撫でながらフェイが言う。
「ローズマリーが側にいてくれることが、俺には世界で最高の神様にもらえたご褒美だって分かったか
ら。こうしてマリーを好きでいられて、手を伸ばせば触れられて、キスもできる。こんなキレイな場所
で二人きりで来れる」
「今日は二人きりじゃないけどね」
 至近距離で囁き続けた二人は、額を合わせたままクスクスを笑う。
「今度は、元気になった子どもたちを連れて一緒に来よう。そしてその子たちが知らない楽しさを教え
てあげればいい」
「うん」
 素直に頷いたローズマリーの額にキスをする。
 そして胸に抱き寄せると、二人で側にいるだけで熱を伝えてくる火床の炎を見つめた。
 それを見ながらフェイが言う。
「その子どもたちの中に、俺たちの子どもも混じってるなんて設定はいかがで?」
 その一言で、甘かった空気が何度か温度を下げる。
 あ、すべった……。
 そう思って見下ろした胸に抱いたローズマリーの顔を見下ろせば、調子にのるなと目を怒らせた顔が
ある。だが、そこにいつもの気迫はない。ただ、少しばかり痛いと感じる拳で胸を叩かれただけだった。
「……安心しろ。キスしただけじゃ子どもはできないから」
「分かってるわよ、そんなこと」
 怒った口調で言ったローズマリーだったが、しばしの沈黙の中でモゾモゾと体を動かす。そしてこれ
また怒ったような目つきでフェイを見上げると言った。
「でも、聞いてくれてありがとう」
 あまり感謝には聞こえない言葉だったが、そう言うと、自らフェイの首に手を回してキスをする。
「これはただのお礼」
 そう言い残してイスから立ち上がったローズマリーだったが、腕を取られて振りかえる。
 そこには、キス以上を求めるフェイの熱を帯びた目があった。
 取られた手がピクっと反応する。だが、同時に前に感じた、自分が女として求められる恐怖感はなか
った。素直に受け入れようとしている自分がいた。
 立ち去りかけていた足を戻し、フェイの元に戻ろうとしたローズマリーだったが、不意に後ろでした
咳払いの声に慌てて振り返った。
 そこには顔を赤くしたレイリと、悪い間で現れてしまったことに気まずげなカルロスが立っていた。

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