第六章 希望は優しさを、失望は隠された本性を




「ねぇ、着火剤とか全然ないんだけど」
 火をおこす係に選ばれたローズマリーが、レイチェルの残していった荷物をあさりながら言う。
 その背後では、黙々と火床を用意するフェイがいる。
 その背中を振り返って見たローズマリーは、思わずくすりと笑う。
 大きな背中の子どもが、熱中してナイフで木を削っている。集中しすぎて背中が丸まり、ちょっと苦
戦する硬い木に当ると、眉間に皺を刻んで目の色を変えている。そしておそらくは、それがフェイの癖
なのだろう。集中すると口の端から少し舌が覗く。その姿がお菓子のキャラクターの顔そっくりで、声
を押し殺して背中を震わせながら笑ってしまう。
「ちょっと姉さん。ぼくが苦労している間に、何一人で楽しんでるのさ」
 笑っているローズマリーに不満たっぷりの声で文句をいい、大きなため息とともにドンと大きな音を
立ててタンクを地面に下ろしたのは、ジャスティス。
 左右に下げてきたのだろう、10リットルずつのタンクが二つ。計20リットルもの水を一人で下げ
て歩いてきたのだから、相当に重労働だということは確かだった。
 ジャスティスの言葉で、初めて自分がローズマリーに笑われていたのだと気付いたフェイだったが、
振り向いたときにはローズマリーの顔が背けられてしまっている。
「男の癖に文句ばっか言わないの。たまにはフェイを見習って、黙って仕事をこなしなさい」
 珍しくフェイの肩をもつローズマリーに、ジャスティスはますます不満を表して顔をしかめ、フェイ
は嬉しそうに自分を見下ろしているジャスティスに「しょうがないじゃん」とおどけた仕草で眉を上げ
てみせる。
「ぼくもフェイと一緒に火床作るのやりたいな」
 ジャスティスは、フェイが二股の枝を四つ用意して生木を組んでテンプル火床を作っているのが楽し
そうに見えたのか、羨ましそうに眺めている。
「俺は別に一緒に作ってもらったほうが楽だけど」
 救いの手をさしのべるようにフェイが言う。
 それに嬉しそうに頷いて見せたジャスティスだったが、これにローズマリーが腰に手を当てて仁王立
ちすると、否を唱える。
「ジャスティス。あなたは彼女に水汲みを仰せつかったのでしょう。たった20リットルで足りるわけ
がないでしょう。タンクはまだ二つあるんだし。だいたいこれはあなた達二人で考えたラブラブ作戦な
んでしょう。自分が男だってことを見せて彼女にラブラブですって目をさせたくないわけ?」
 真っ向正論で攻められて、ジャスティスは口をつぐんでローズマリーを大きな目で見返す。
 ジャスティスの内心としては、この頭の硬い姉がラブラブと連呼していることも驚きだったし、レイ
チェルと自分のことを恋人と認めてくれているらしいこともびっくりだった。そのうえ、いつもは自分
を子ども扱いをしている姉が、自分に男だってことを見せろなどと言っている。
「いや、うん。それは姉さんの言うとおりなんだけど」
 口の中でモゴモゴと言ったジャスティスだったが、調子が狂ってしまった様子で首を傾げつつ、それ
でも新たな空タンクを手にして川へと歩いていく。
 その背中を見送っていたフェイだったが、隣りに座り込んで一緒に火床を作る準備をしはじめたロー
ズマリーの横顔を眺めた。
「ジャスティスが大事でしょうがないお姉ちゃんにしては、珍しく突き放したんじゃないの?」
 その言葉に、枝を手にしていたローズマリーの手が止まり、ほんの一瞬顔を赤くしたが、咳払い一つ
すると、火床周辺の枯れ草を抜き始める。
 ローズマリー自身も、母親みたいな顔をしてジャスティスに接する癖が抜けないことは分かっていた。
自分の目が届く範囲にいない時のジャスティスに何が起こっているのか、気にし始めればキリがないこ
とだと分かっているのに、一緒にいる時間が長かったせいで心配で仕方がないのだ。もうジャスティス
も大人であることは分かっているのだが。
 それを露骨に言い当てられたようで、ローズマリーはまともにフェイの顔を見ることができなかった。
「別に。ジャスティスだって彼女ができたのに、いつまでも姉さん、姉さんじゃないでしょう。しっか
りと女の子を守れる男だってことを示せるようにならないと」
「……それはそうだけど。あの彼女なら守らなくても、逆にジャスティスを守って拳を振るいそうだけ
ど」
 フェイの一言に、確かにとローズマリーは納得してしまう。
 うずくまって草をむしりながらそんなことを考えていたローズマリーだったが、不意に後ろでした気
配に振り返ろうとしてぎゅっと抱きしめられた。
「……急に何?」
 ついさっきまでフェイが作業してはずの場所を見れば、ナイフも枝も放り出してある。
 そしてフェイ本体は自分の背中に取り付いていて、耳元にフェイの息がかかっている。
「もしかしてって、期待しちゃったからさ」
「期待?」
 冷静に言い返しつつも、ローズマリーはぎゅっと背中に押し付けられたフェイの胸から伝わる心臓の
鼓動の早さに気付いて、不意打ちのように胸の中に走る感情があるの目をさまよわせた。ぎゅっと、心
臓よりもより深いところを鷲掴みされたような切ない気持ち。
「ジャスティスをもっともらしい事言って追い払っておいて、もしかしたら俺と二人だけでいたいのか
ななんて。珍しくラブラブなんて言ってるし」
「……そう。でもその期待は失望に通じてるだけかもよ」
「……うん。分かってる。言ってみただけ」
 冗談ですと笑ってフェイがローズマリーの背中から離れていく。
 自分の背中をすっぽりと覆っていた暖かさがさっと離れた瞬間に、ローズマリーは自分の中で寂しさ
を覚えたのに気付いて、息を飲んだ。恐ろしく思えるほどに。こんな冷たい態度ばかりを見せていたら、
あのフェイの胸の鼓動も冷えていってしまうのではないかと考えてしまう自分がいる事実に。
 火床を組んでロープで固定し始めるフェイを見つめ、ローズマリーは自分が集めた枯れ草を抱えてフ
ェイの後ろに置く。
 フェイは器用に互い違いに出た二股の枝を使って四角い枠になるように太い枝を固定し、その上に生
木を並べてテーブルのような形になるように、火床を作っていく。
 真剣なその背中を眺めながら、まっすぐに火床を作ることに集中しているだけだと分かっていながら、
自分のことを拒絶している背中のような気がして、ローズマリーはかけようとしてた言葉を飲み込んだ。
だいたい、なんと声を掛けたらいいのか分からない。
 フェイの手が台に置く次の木に伸ばされているのに気付き、とっさにその手首ほどの丸太を手に取っ
て手渡した。その一瞬に目が合う。
「あ、ありがとう」
「うん」
 ぎこちなく頷き返して、手渡すという仕事を見つけたローズマリーがフェイの隣りにしゃがみこむ。
「ねぇ」
 自分でも思いがけずにそう声を掛けてしまったローズマリーを、フェイが無言のまま見下ろして「ん
?」と眉を上げる。
「……そうやって真剣にやってる背中が……子どもみたいで可愛い」
 自分でも何を言っているのだろうと、ローズマリーは俯いたまま顔を赤くした。耳まで熱くなってい
く。それを見られてはならないと縛っていた髪を梳いたくらいに恥ずかしくて動けなくなる。
 その頭上でフェイが言う。
「かわいいね。かっこいいの方がいいけど、マリーにもらった褒め言葉だから素直に嬉しい」
 顔を上げれば、本気で嬉しそうに笑うフェイと目が合う。
「じゃあさ、がんばってるかわいい子の頭、撫でてあげてよ」
 そう言って頭を差し出すフェイに、ローズマリーが笑いを漏らす。
「バカね」
 そう言いつつも、伸ばした手でフェイの髪を撫でる。
 少し癖のある茶色の髪が、手の下で跳ねてくすぐったかった。

back / 第三部 CODE:セラフィム top / next 
inserted by FC2 system