第六章 希望は優しさを、失望は隠された本性を




 前を行くレイチェルは勇ましく手にはナイフを構えて、頭上から下がる蔦を掻き分けたり、足元にび
っしりと繁った草を踏みつけて道なきところに道を作り上げたりしてくれる。
 その後からおっかなびっくり進んでくるのがレイリで、最後尾を手渡されたビニール袋を手首にひっ
かけて歩いてくるのがカルロスだった。
 本当に野生児のようなレイチェルは、どこに探知レーダーをつけているのだろうという優れた嗅覚で、
すでにキノコやヤマブドウなどを発見していた。
 キノコはカルロスのビニール袋に、ヤマブドウはレイチェルの腰に下げた袋に入っている。
「まだ行くの?」
 完全に都会育ちのレイリは、すっかりこの大自然に感動するよりも怖気づいてしまっている。姿なき
敵がどこに潜んでいるのかと落ち着きなくあたりを窺っている。というのも、藪の中に踏み込んで数分
後に、木と木の間に張っていた蜘蛛の巣に突っ込んでしまったのだ。そのときのレイリの悲鳴たるや、
さしものレイチェルもビクリと首をすくめたほどだった。
「まだみんなが食べる夕飯の量には足りないもん。行くよ」
 チラっと後ろを振り向いただけで歩き続けるレイチェルに、レイリが明らかに落胆して肩を落とす。
子どもなら、もうヤダと駄々を捏ねてひっくり返って泣くところかもしれない。
「疲れたなら負ぶおうか?」
 後ろから来たカルロスに聞かれ、レイリが慌てて首を横に振ると歩き始める。
 レイリにしたところで、確かにこんな山奥で汗をかきながら草を踏み分けて虫に怯えているのは嫌だ
ったが、そんなことで悲鳴を上げる自分にも、情けなくて嫌気がさしていたのだ。
 それが女らしいところだという見方もあるだろうが、人間として脆弱で、誰かに寄りかからなければ
生きていかれない、自立心のない人間に思えたのだ。
 目の前のレイチェルは、まだ出逢ってから時間が浅いとはいえ、すぐに人に溶け込めるところや、生
命力に溢れている点で羨ましく感じる女性だったし、長い付き合いであるローズマリーは尚のこと、レ
イリの憧れだった。
 レイチェルにしろローズマリーにしろ、自分という存在に確固とした芯があってぶれずにいる。たぶ
んそれは自信というものが支えてられているのだろうとレイリは思うのであった。自分にはそれが決定
的に欠けている。
 いつも周りを気にしてしまう。自分の決定に自信がない。流されてしまう。
 そんな自分を少しでも変えたい。何度も思って来たことだったが、今始めてそれを実行に移そうとし
ていた。
 行ける所までレイチェルについて行ってみよう。そうしたら、いつもと違う自分が見えてくるかもし
れない。
 そう思った瞬間に、目に見えてくるものが変わったことにレイリは気付いた。
 漠然と草、木、空、虫の気配と思っていたものが、一つ一つクリアになっていく。
 枯れ草の、細いわりに硬くて断ち切れない感触と、若草のふんわりした感触の違い。黒い土の間に落
ちたどんぐりの実。空を覆う木の葉の間からは、キラリと宝石のように光る太陽の光。そして。
「あ、レイチェル。あれ!」
 レイリが立ち止ると森の一角を指差した。
 その声に反応してレイチェルが戻ってくる。そしてレイリの後ろに立ったカルロスが呟く。
「あれはクラブアップルか?」
 低い木の枝にびっちりと赤い実がたわわに実っている。
「あれを持っていってリンゴ煮にしようよ!」
 自分の大発見と、明らかについさっきまでの疲れた声から一転した明るい声で言うレイリに、レイ
チェルが笑う。
「残念。あれはすぐには食べられないよ。すごく苦いの」
「え? ……そうなの?」
 褒めてもらえることを期待していた子どものように、シュンと肩を落とすレイリに、レイチェルがそ
の肩をポンポンと叩く。
「でもよく見つけたね。わたしも見落としてたのに。そうだね。今日みたいにちょっとピクニックに来
ただけのときは食べれないけど、サバイバルだったら貴重な食料発見だよ。干してドライフルーツにす
ればおいしくなるんだから。その調子でいろんなものを見つけていこう。楽しみながらでいいから」
 レイチェルの笑顔にレイリは顔を上げると、「うん」と子どものように頷く。それからレイリの顔に
付いていた枯葉のくずをタオルで払ってあげると、楽しそうに二人でくっついて歩き出す。
 それを後ろで眺めていたカルロスは、すっかり自分の十八番が奪ってくれたレイチェルに苦笑いを浮
かべるのだった。
 あれが女でなくて男だったら、絶対にいいライバル出現だったなと。


 川にたどり着いて、レイチェルが差し出してくれたアルマイトのカップで掬って飲んだ水は、痛いほ
どに冷えて甘い水だった。
「ああ、おいしい」
「ね。すんごいおいしいでしょう」
 すっかり仲良しになった二人の横で、手で水を掬って飲んだカルロスも、その水の透明度に見入って
から汗でぬれた顔を洗う。
「ま、ちょっとくらい大腸菌とかいたってさ、それは山に住んでいるタヌキやイタチなんかのおしっこ
やうんちが混じっちゃっただけだから対したことないよね」
 そのレイチェルの一言に、もう一杯と水を飲みだしていたレイリが口の中の水を飲み込めなくなって
頬をふくらませ、カルロスは顔から水を滴らせながら固まった。
「また、そんなに繊細ぶっちゃって。大腸菌なんて自分のおしりにたんまり飼ってるんだから気にしな
い、気にしない」
 ケラケラと笑ったレイチェルが、採ってきたキノコを川の水で洗い始める。
 それを見たレイリは恐る恐るゴクっと水を飲み干し、カルロスも仕方なしと諦めて首のタオルで顔を
拭き始める。
「レイリも手伝って」
「うん」
 年は明らかにレイリの方が上なのだが、ここで生きるうえでの知識量と力の点で上位に君臨すること
になったのか、すっかりレイリの方がレイチェルというボスについて回る妹分になっている。
「じゃあレイリ。食べられる植物かどうかの見分け方は?」
 もう何度目かになるレイチェル教授による口頭テストに、川の水の冷たさに難儀しながらキノコを洗
うレイリが答え始める。
「まずはキレイなものを選ぶ。虫が食った痕のあるものはもう栄養がないのでダメ。次に匂いをかぐ。
アーモンドとか桃の匂いがしたらそれは毒だからダメ。それから口に入れて」
「その前にすることがあったでしょう?」
 自信たっぶりに答えていたレイリだったが、途端に脳内は真っ白状態に陥ったらしくキノコを洗う手
はおろそか、後ろの石の上に座っていたカルロスを見て不安そうに見つめる。
 その目に、教わっていたのはレイリのはずなのに、何度も繰り返される問答を聞いていた自分の方が
すっかり覚えてしまったとカルロスが苦笑いを浮かべる。
「肌」
 カルロスの出したヒントにパっと顔を輝かせたレイリが回答を再開する。
「肌のやわらかいところ、腕の内側なんかにすり潰した葉の汁などをつけてかぶれないかを確認。それ
から口に入れてみる」
「はい。その順番は?」
 矢継ぎ早に返されたレイチェルの質問に、レイリが慌てた様子で頭の中をのぞき見るような目つきで
答えを探し始める。
「まずは唇にのせて、それから口の端にはさんでみて、それから舌の先、次に舌の下。それで大丈夫だ
ったら噛んでみる」
「はい、正解」
 キノコを洗い終えてビニール袋に詰めながら言うレイチェルに、レイリが満足げに微笑んでカルロス
を振りかえる。
 いつもは背中に垂らしている髪は、今は襟足でギュッと縛られいる上に、乱れているし枯葉をのせて
いる。顔にもきっとキノコを洗いながら触ったのだろう、土が鼻の頭にくっついている。
 そんな姿だったが、いつも以上にあどけなく微笑むレイリが可愛らしく思え、カルロスは手招きして
抱き寄せると頬にキスをした。それから頭の枯葉と鼻の土を払ってやる。
 いつの間についたのだろうと不思議そうな顔をしたレイリだったが、自分からカルロスの首に腕を回
すと唇にキスを落とす。
 それは今までにない行動だった。キスは何度だってしてきたが、いつも受け入れる側で、自分からし
てくれたことはなかった。
 カルロスは一瞬びっくりした顔をしたが、すぐに嬉しそうに笑うと抱きしめる。
 そしてそのカルロスの笑顔も、レイチェルが始めて見る、目尻にまで皺がよるような本当の笑みだっ
た。
「あ〜あ、熱いなぁ。もうラブラブ大作戦成功カップルじゃん」
 二人の熱に当てられたように顔の前に手をかざして眩しそうな演技をしてみせるレイチェルに、カル
ロスとレイリがクスクスと笑う。
 そんな二人にレイチェルは近づくと、近くの石の上に腰を下ろす。
「じゃあ、今度はレイリの番だよ。わたしはレイリに大自然の中で生きていく方法その1をレクチャー
したんだから」
 今度はレイチェルが生徒ですと目を輝かせて子どもの目でレイリを見つめる。
「ん? わたしが何を教えるんだっけ?」
 カルロスの腕の中で尋ねるレイリに、耳元でカルロスが呟く。
「女らしい色気の極意だってさ」
 カルロスの答えに「うん」と元気よく頷くレイチェルを見て、レイリは困った笑顔で首を傾げるのだ
った。

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