第三章 小さな命




「第一回ナイトホスピタル・ミステリーツアーに出発!」
 アンネと手をつないだジャスティスが、一番大ハリキリで拳を突き上げて開催を宣言する。
「ちょっと、夜なんだから静かにしてよ」
 懐中電灯を片手に持って小声のローズマリーが言う。
 別に手が出たわけではないが、鋭い言いように、アンナの横でジャスティスが首をすくめる。
「ごめん」
 ちらりと後ろを振り向いて謝るジャスティスの姿に、アンネがクスクスと笑う。
 その声にアンネを見下ろしたジャスティスが、内緒話をするように耳に口をよせる。
「怖いでしょ、この人。アンネもいじめられない?」
 すぐ真横にあるジャスティスのキレイな顔に、ドギマギと顔を赤くしたアンネだったが、次の瞬間に
は「イタタタ」顔をしかめて遠ざけられていく。
 ローズマリーに耳を引っ張られたのだ。
「わたしのかわいいお友達に、変なこと吹き込まないでくれる」
「変なことじゃないじゃん。事実だよ、事実」
 開き直って言うジャスティスだったが、すっと細められるローズマリーの目に恐れをなして、虚勢は
一気に逃げ腰に変わり、ヒョイとアンネを抱き上げると走って逃げ始める。
「病院ミステリーツアーじゃなくて、恐怖の魔女、ローズマリーから逃げ切れツアーに変更!」
 はしゃいだ子どものように言うジャスティスが、お姫さま抱っこしたアンネに笑いかける。
 そして余裕たっぷりの魔女然として悠然と歩いてくるローズマリーから身を隠して階段の陰に身を寄
せると、アンネを廊下に下ろし、映画の騎士のようにアンネの前で膝を折ってその手を取る。
「不肖わたくしが、アンネ姫を魔女よりお守りいたします」
 小さな手の甲にジャスティスの唇が寄せられる。
 柔らかくて暖かな唇の感触にポーとした顔になったアンネだったが、ジャスティスに見上げられて照
れたように微笑む。
「よろしい。あなたをわたくしの騎士に任命いたします」
 そしていつか読んだ物語のお姫さまが言ったのと同じ台詞を口にする。
 その気の利いた台詞に、おっと顔を上げたジャスティスが嬉しそうに微笑む。
「では姫さま、魔女の手を逃れて、あの光の塔を目指しましょう」
 ジャスティスが指し示した窓の外には、病院内唯一の最上階レストラン「スカイ・ハイ」の灯した電
灯が見えていた。


 暗い廊下を手をつないで歩いていく。
 もちろん入院患者のいる棟は看護師たちがいたるところでいつ顔を出すか分からないので、今歩いて
いるのは、非常灯の緑色の光が妖しく反射する外来の廊下だ。
 昼間はたくさんの患者でごったがえすロビーや廊下も、ひっそりと息をひそめ、消毒薬と薬の臭い息
を発しながら寝静まっている。
 それでも時折、生気のない死んだ瞳をうろんげに上げて見つめてくる、何かの気配が感じられる。
 それが病院に息づく魔物の息遣いなのか、はたまた、魔女を装ったローズマリーの気配を妄想する自
分の錯覚なのか。
「やっぱり病院って怖いね」
 思っていたことを先にジャスティスに言われ、アンネはわたしが姫でジャスティスが騎士なはずなの
にと思いながら、つないだ手に力をこめる。
「大丈夫だよ。おばけなんていないもん。いるのは、おっかない魔女だけでしょう?」
 斜めに傾けた顔でジャスティスを見上げれば、「アンネは強いなぁ」と細めた目で褒められる。
 本当は怖いけど、一緒に怖がったらパニックになって叫びだしそうなんだもの。
 アンネは強がりで笑ってみせる。が、なんとなく頬のあたりがすんなりとは動いてくれなかった。
「あ!」
 そんな怯えをなんとか抑えつけているというのに、ジャスティスが不意に声をあげるので、不本意に
もピョンと跳ね上がってジャスティスの腕にしがみついてしまう。
「な、なに?」
 ジャスティスが廊下の先を指差している。
 変な黒い影が見えるとか言わないでね。
 アンネはジャスティスの背中に隠れるようにして、廊下の先をそっと見やる。
 別にもやもやしたおかしな影はいなかった。
 かわりに廊下の中央に、なにかが落ちているのが見える。
 外来終了後の夕方には、清掃の業者が入るので、こんなところに何かが落ちていることはありえない。
「手紙かな?」
 一枚の紙を拾い上げたジャスティスが言う。
「なに?」
 伸び上がってジャスティスの手元を覗き込もうとしたアンネに、紙が差し出される。
 そこにあったのは、ローズマリーの手書きの文字で書かれた案内状だった。
 キレイに縁取りされたアラベスクの中に、レタリングされた文字でINVITATIIONと描かれている。し
かも、血の滴ったイラストつきという、不気味な手紙。
 だが、題名のINVITATIONと最後のローズマリーの署名以外に文字がない。ただの白紙の空間があるだ
けなのだ。
「何にも書いてない………」
 裏返してみても、文字はない。
 意味を図りかねてジャスティスを見上げれば、意味深な笑いで見下ろされている。
 目で問い掛ければ、ジャスティスが笑みを濃くする。
「アンネ、このツアーの名前は?」
「ミステリーツアー……そうか。謎解きしながら行かないといけないんだね」
 怖がって怯えていたアンネの顔に、好奇心という光が灯る。
 名探偵のスイッチが入れば、途端に頭脳が刺激を受けてか、頬が紅潮しはじめる。
 懐中電灯の光を紙に当てさせ、全てのヒントを探り出そうとして斜めにしたり、顔に近づけたりしは
じめる。
 そして紙に鼻を寄せた瞬間に、「ん?」と顔を傾ける。
「この紙、オレンジのにおいがする」
「うん」
 見事な観察眼に、ジャスティスが嬉しそうに頷く。
「ジャスティス、ライターとか持ってる?」
 アンネの言葉に、普段はタバコも吸わないジャスティスが持っているはずのないライターだったが、
待ってましたとばかりにポケットから差し出される。
 それを受け取ったアンネは、紙の裏に火を翳して炙り始める。
 すると、わずかに甘い焦げ臭さを上げて、紙の上に文字が浮かび上がる。
「やった! あぶり出しで成功」
 完全に紙の上に現れた茶色の文字に顔を寄せ、アンネが文字を読み上げていく。

―― 見事このカラクリを見破ったアンネ姫
   もしこの先のわたしの館へ、指示するものを持ってくることができるならば
   あなたの望みを叶えてやろう

   わたしへの献上の品は、血。
   わたしの舌に残るその味は鉄。
   腐臭にもにたアンモニア。
   だがそれは命をあたえる呼吸の源。

 そして同時に浮かび上がった病院内の地図には、レストラン・スカイハイへのルートの前に二箇所寄
り道するようになっていた。
 一つは内視鏡検査室横のトイレ。もう一箇所が、レストランの真下、院内図書館の倉庫だ。
「なんだろ。この献上品って。本物の血を持って来いって意味じゃないんだよね」
「そうだろうね」
 アンネの呟きながらされる思考のスピードの速さと集中力に、舌を巻きながらジャスティスが相槌を
うつ。
「とりあえず三階のトイレに直行ね!」
 アンネが勇んでジャスティスの手を引く。
 病院の暗い廊下を、元気なパタパタという足音が響く。
 騎士を引きずって走る、可憐なお姫さまの姿がエレベーターホールへと消えていった。


 トイレの中には小さな机が設置されていた。
 古い木の机の上には液体を湛えた、ガラスの小瓶が3つ。
 透明なものが二つ。赤褐色の液体が一つ。
 完全な闇に落ちたトイレの中で、窓辺に灯されたキャンドルが妖しく影を揺らしていた。
「本当に魔女の謎かけって感じだね」
 そんな演出にも、すでに探偵王女になりきったアンネは、怖がることもなく目を爛爛と輝やかせる。
「この液体は何かしらね?」
 とくにジャスティスに尋ねるでもなく、自問自答のように言葉をつむぎ、瓶に顔を寄せる。
「……臭い。鼻にツーンとくる。これって何?」
 三つの瓶のどれから匂ってくるにおいなのかを探りながら、アンネがつぶやく。
「あんまり近づきすぎちゃだけだよ。一応危険物だから」
 あまりに無防備に顔をよせるアンネに、ジャスティスが後ろからとどめる。
「それはアンモニア」
「………おしっこに入ってるあれ?」
「そうそう」
 トイレにアンモニアとは、なんておあつらえなんだろう。ジャスティスも苦笑する。
 アンネは机から少し離れて腕組みすると、う〜んと唸りながら辺りを見回す。
「絶対何かヒントがあるはず。たぶん、これがさっきの献上品の血に関係するんでしょう? だって腐
臭ににたアンモニアって書いてあったもの」
 手に握っていた不気味な招待状の文言を、窓辺の蝋燭に翳して読もうとする。
 と、窓の蝋燭の側に、小さなライトがおいてあるのに気付いた。
 ペンライトのような小さな黒い棒状のものが、闇に溶け込むようにして置かれている。
 それを手に取って、アンネが捻って明かりをつける。
 それは青白い発光するような光だった。
「ブラックライト?」
 むかし文房具で買ってもらったことがあったので知っていた。ピンクや黄色の粉をノリで描いた絵の上
にまき、暗闇の中で付属のブラックライトで照らすと、蛍光色のイラストになって浮かび上がるのだ。
 闇に浮ぶ蛍光の熱帯魚のイラスト。それで壁に水族館を作ったことがあった。
 あのブラックライトだ。
 ということは。
 アンネが蝋燭の火を吹き消す。
 あっという間に、自分の指先さえ見えない闇になったトイレの中で、アンネはブラックライトを翳す。
 蝋燭が立っていた窓辺。
 タイルの床。
 ライトを翳して体を回転させたアンネは、そこに浮かび上がったジャスティスの青白い顔に悲鳴を上
げる。
「やだ! おばけみたいな顔してびっくりさせないで」
 別に無理にアンネを脅かそうとしていたわけではなかったのだが、机の上の液体をひっくり返さないよ
うに背中を守っていたところで、下から青白い光で照らされてしまったのだ。
「ごめん」
 どうも、姫を守るかっこいい騎士も、美形の王子さまも、どちらも演じ切れていないらしい。これで
は、魔女の弟子その@的な存在に成り下がってはいないだろうか?
 ふんと鼻を鳴らしたアンネが、ライトをトイレの個室の白い壁に当てる。
 するとそこに描きだされた指示が浮かび上がる。

―― 魔女に差し出す血の製造法

 赤い血の雫を湛えた瓶に、褐色の血の素を注げ
 そこに腐肉の雫を5滴
 血と腐肉は、肥えた大地を生み出す
 さらにそこに最後の命の雫を5滴
 大地を覆いし緑は枯れはて、血の雫が生まれ出でる
                          【手袋をすること】


「この手袋をすることっていう最後の言葉が、ちょっと演出を壊してると思わない?」
 ブラックライトを翳して文字を読み取ったアンネが、クスリを笑いながら言う。
「まあね」
 苦笑しながらジャスティスが吹き消した蝋燭に火を灯す。
 アンネを元気にしてあげたくて、凝った演出を二人で考えたのだが、それで危険を作り出すわけには
いかなかった。
 完璧主義なローズマリーには、注意書きは本来不本意な書き込みなのだが、それでも止めるという選
択肢は、アンネを気遣うローズマリーには存在しなかった。
 机の空の引き出しに入っていたゴムの手袋をパチンといい音を立ててはめたアンネは、赤い雫形のガ
ラスの飾りのついた瓶を手に取る。
「これが血の雫を湛えた瓶でしょう? それに褐色の水を注ぐ」
 三つあった液体を入れた瓶の一つを手にとり、ガラスの瓶に移し変える。これは酢酸鉄溶液で、昨日
ジャスティスがスチールウールを酢につけた作っておいたものを移し入れたものだった。
「次が腐肉の匂いのアンモニア」
 くんくんと匂いを嗅いでから顔を顰めたアンネが、ガラス瓶にアンモニアを注ぎ込む。
 すると褐色だった液体はたちまち深い緑色に変わる。
「うわ、これ肥えた大地を表す緑ってことか」
 美しく変化していく色水に顔を輝かせ、アンネが実験を進める。
「で、次が最後の命の雫ね」
 数滴を垂らしいれた瞬間から、緑色の液体が血にそっくりな真っ赤な液体へと変化していく。
 ジャスティスにはただの酸化還元反応を利用した実験に過ぎないと分かっていたが、それでも蝋燭の
明かりの中で揺らめく影を伴って行われるその儀式は、確かに魔女への捧げものを作っている禍々しさ
を演出してくれる。
「すごーーい。本当に血みたいだね」
 ガラス瓶に赤い雫の封をしてから、目線に掲げたアンネが目を輝かせて瓶を覗いてみている。
 いくぶん凝固したような赤い固まりを、自分が作りあげたルビーの宝石でもあるかのように、上気し
た頬で見つめる。
「これが本物の血だったらすごいね。わたしの中に入れたら、病気も全部治りそうな気がする」
「そうだね。本物の魔女の作った血液なら、そんな力もあるかもしれない」
 白血病で同じ年頃の子どものように遊びまわる楽しさを奪われたアンネの一言が、ジャスティスには
重く心に沁みこんだ。
 アンネの横に立ち、バンダナで覆った頭を撫でた上げる。
 そんなジャスティスを見上げたアンネは、無邪気にこのミステリーツアーを楽しむ子どもの笑みで見
上げてくれる。
 彼女が失ったものは多いかもしれない。でも、それを埋められるくらい多くのことをこの小さな体は
学び取っているのかもしれない。
「じゃあ、その貢物の血を、魔女ローズマリーの元に届けに行くとしますか」
「うん」
 大事な宝物のように胸にガラス瓶を抱いたアンネが頷き、自然にジャスティスの手を握った。
 ジャスティスが初めて心から守りたいと思った小さな手であった。


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