「生贄」



 目を合わせることなく、女たちが小屋の中に設置した風呂の中に薬草を搾り出した湯を満たしていく。
 それを呆然と眺めている。
 黄みがかった湯が、桶からざぁと音を立てて風呂の中に流し込まれていく。
 立ち上る緑と薬臭い匂い。白い湯気。その向こうには、格子がはめられた窓とそこから覗く朝霧の立
ちこめたまだ明けきらぬ朝の空気があった。
 俯いて不自然に視線をそらしている女たちが、湯を張り終えると、近づいてくる。
 目の前に跪き、一礼のあとにわたしの両腕を取って立ち上がらせる。
 抵抗するつもりはない。
 もう嘆き悲しむ気力も涙とともに流れ去ってしまった。
 着せられていた白い着物が脱がされ、裸を顕わにされる。
 膨らみだした胸も、白い腹の下の恥部も顕わに、だが恥ずかしく思うほど、生きる気力はもうわたし
の中にない。
 導かれるままに、湯の中に足を入れる。
 暖かい湯の温度が体を足先から肩口まで包むこむ。
 でも、冷え切って死んだ心までは、その力も及ばず――


「また池が決壊した!」
 村に飛び込んできた男の言葉と同時に、大事に溜めていたはずの貴重な水が村を襲う。
 田に満たすためには恵の水であったとしても、決壊した泥混じりの鉄砲水であっては、禍事でしかな
い。
 家々の中にまで入り込んだ泥は、いずれ臭気を放ち、病をもたらす。
 また田を耕す時期を前に、水がなくなることは、この後一年の大事な食料を失い、その上年貢の取り
立てに首を括るしかなくなる、村の存亡にかかわる一大事だった。
―― 人柱を立てよう。
 そんな話が出るのも時間の問題だった。
 神に捧げる生贄だ。
 祈りとともに、再び築く池の土台として生き埋めにされるのだ。
 村一番の生娘を。
 そして村方三役が決めた人柱が、わたしだった。


「これから一ヶ月の間、おまえの身は保護のためにあの小屋に留め置かれる」
 村の決定を伝えられたとき、両親は泣き崩れ、わたしは理不尽だという怒りに満ちていた。
 何が人柱だ。
 なぜわたしが生き埋めにならなければならない! 人柱にされたとしても、決して支えてなどやるも
のか。呪って呪って、池の水を毒に変えてやる。
 しかも保護だと? 逃がさないために監禁すると、なぜ本当のことを言わない。
 残り一ヶ月の命だと言い渡しておいて、その一ヶ月も無為に過ごせと。ただ命を奪われることだけを
考えて、恐怖に震えているがいい。そういうことなのか?
 呪い殺してやりたい視線で決定を告げてきた村長を睨む。
 おまえにもわたしと同じ年の孫がいるではないか? それなのに、なぜにわたしなのだ。
 だが、全てを告げて立ち上がった村長の後ろから、村の中でも狩を得意とする猛者たちが進みで、わ
たしの両腕を掴みあげる。
「いや!」
 身を引いて逃げようとする。
 だが力の限りに掴みあげられた二の腕に、男たちの太い指が食い込み、痛みを生じさせる。
 殺される! こんなろくでなしたちが生きるために、わたしの命が、苦しみの末にうわばれる。
 嫌だ、絶対に嫌だ! 掴まってなるものか! こいつら全員を殺してでも。
 暴れに暴れて囲炉裏の火掻き棒に手を伸ばした瞬間、首筋に強い衝撃を受け、呼吸が止まる。
 強い憎悪とともに混濁していく意識の底で、声が聞こえた。
「すまぬ。だが、呪われた子どもが、救いの神となって讃えられるのだ。最後ぐらいちち、かかに孝行
しろ」
 

 呪われた子ども。
 それがわたしの名前だ。
 別に人と違う姿形で生まれたわけではない。
 人を魅了するほどの美しさを備えすぎたと、ちちさまは言ったものだ。
 わたしが生まれてすぐに、村で飢饉が生じた。夏の始まりまでは、豊作を予感させる米のできだった
のが、秋の実りを迎えるころに立ち枯れを起した。
 その立ち枯れの直前に生まれたのが、わたしだった。
 そして害虫が大量発生し、はやり病が村を襲った。
 幼い子どもたちがたくさん死んだ。だが、わたしは生き残った。
 村人は、やせ細って死んでいく子どもたちの中で、ひとり元気に笑うわたしを、悪鬼の子どもだと噂
した。禍事を送り出す悪鬼そのものゆえに、悪鬼にさえ魅入られ崇められているのだと。
 そう言われて納得してしまうほど、幽玄とさえ言える美しさを備えた子どもだったのだと。
 そしてわたしは、村の中では常につまはじきにあう生活を続けてきた。
 あいつに障ると祟られる。重い病に罹って苦しみぬいて死ぬ。
 係わるな、話すな、目も合わせるな。
 子どもたちは姿を見せずに石を投げて、わたしのことを追い払った。
 大人たちは、声を顰めてわたしの歩く道の先から身を引き、道が汚れると言って後ろから水を桶に汲
んでかけてくることもあった。
 当然、悪鬼の子を産んだ両親に畑を与えてくれるような親切な村人も消え、ちちさまもかかさまも、
人目を忍んで夜に他人の畑におこぼれを採りにいったり、庭先の痩せた土地にわずかばかりの粟や稗を
育てる生活をしなければならなかった。
 これまでの人生で楽しかったことなど、何一つない。
 ただ一人、気になる人物とのわずかばかりの交流を除いては。


 あの日も、もう何日も何も口にできないで空腹で家の床板に転がって、木の節の数を数えているだけ
の時間を過ごしていた。
 ちちさまもかかさまも家にはいなかった。山へ食べ物を探しに行ったのだ。
 だから、こんな昼過ぎの時間に戸板が開くはずがなかった。
 だががらりと音を立てて開いた戸に、家の中に昼の明るい陽射しが差し込む。
 こんなに太陽の光って、暖かかったんだ。
 そんな風に思うくらい、昼間に外へ出て行くことがなくなっていた。
 頭を上げて振り返ることも億劫になるくらい、体は力が入らなかった。
 その背中に、誰かが膝立ちでなって顔を覗き込むのが分かる。
 目だけで相手の顔を確認しようと視線を送ると、そこにいたのはまだ4歳ぐらいの鼻をたらした子ど
もだった。
 その子どもが、「あー」と赤ん坊のような声を出して。わたしの頬に向かって指を差し出す。
 プクプクと膨らんだ、触れたら気持ちの良さそうな指だった。
「あんた誰?」
 だが問い掛けても、緩んだように笑い続ける子どもは、わたしの背中に圧し掛かって遊ぼうとするば
かりで質問には答えようとしなかった。
 もともと空腹でイライラしていたわたしは、起き上がって子どもを突き飛ばそうとした。
 手をつき、半身を起して振り返ろうとした。
 だがクラリとゆれた頭に動きが止まる。
 手で顔を覆って眩暈に耐えていたわたしだったが、不意に顔の前に突き出されたものに気付いて目を
あけた。
 そこにあったのはよく実ったリンゴの実。
 すでに齧った歯型はついていたが、そのぶん蜜が入った甘いにおいが立ち上がる。
 縋るような思いで子どもを見たわたしに、ヨダレを口から垂らした顔の子どもが、笑顔でリンゴを差
し出し、手を伸ばしたわたしの手の中に落としてくれる。
「くれるの?」
「あーあー」
 子どもは意味をなさない音を口から発し、頷いている。
 それを見た瞬間、わたしは獣のようにリンゴに喰らいついた。
 味わって食べるなんて余裕はなかった。なんでもいい、口に放り込んで、一滴たりとも残さずに体の
中に吸収しなければ。
 そんな食べ方を、子どもは嬉しそうに声を立てて笑って見ていた。そして、食べながら泣き出したわ
たしの顔を覗き込むと、初めて真顔になって溢れる涙を薄汚れた手で何度も受け止め、拭ってくれるの
だった。
 ちちさま、かかさま以外にはじめて触れる、人間の暖かさだった。
 まっすぐにわたしという存在を見つめてくれる。そこにいることを許してくれる存在だった。
「神子さま。神子さま」
 遠くから女の声がした。
 その声に、子どもが顔を上げ、立ち上がって戸口から出て行こうとする。
「ま、待って」
 堪らずに声を掛けたわたしに、子どもは振り返ると、にこっと笑って駆けていった。
 子どもの正体は神子さまと呼ばれる、わたしとは対極の存在だった。
 体に障害をもって生まれた子。それは、神に愛されているゆえにその一部を神の御許に残してきた子
どもだとされていた。
 知能の程度が低い子ども。ただそれだけで、大事に愛されている子ども。
 美しく、飢饉を起した年に丈夫に生まれたというだけで、卑しめられ、虐げられるわたし。
 あまりに違いすぎる。
 だが、不思議とあの子どもを恨む気持ちにはなれなかった。
 わたしをまっすぐに見つめてくれた、唯一の存在だったからかもしれない。


 禊がおわり、まっさらの新しい白い着物を着せられる。
 生まれて初めて口に紅をさし、伸び放題だった髪が梳かれ、結い上げられる。
 自分の命が、生き埋めという形で奪われる恐怖に、泣き続け、初めて不自由なく与えられたはずの食
事は、吐き気とともにいくら口に入れようと、吐き出されるだけだった。
 なぜわたしが人柱になどされなければならないのか。 
 何一つ、納得などしていない。ただ、諦めただけだ。
 そんな人柱で、どれだけの効力があるというのか。
 また大水で村など滅びてしまえばいい。
 呪いの言葉が胸に溢れかえり、口元に皮肉な笑みが浮ぶ。
 だが、そこへ慌しい人の声と足音を立てて小屋へと入ってくる一団があった。
「お待ちください。神子さま、そこは――」
 ガラリと禊を終えた湿気のこもる小屋の戸が開けられ、あの惚けた笑みを浮かべた子どもが現れる。
「ね・ね」
 両手を広げて抱きついてくる子どもを抱きとめる。
「ね・ね。遊ぶ? あたち、後から行く」
 舌ったらずで喋る側からよだれが垂れる子どもは、だが初めて言葉らしい言葉を使って話し掛けてく
る。
「後から行く?」
 不思議に思って首を傾げるわたしに、子どもを追ってきていた女の一人が言う。
「もし、あなたが人柱に立っても効力がないときには、神子さまが、その力をもって人柱に立たれます」
「え?」
 初めて聞かされる話に、わたしは膝に取り付いている子どもを見下ろした。
 こんな何も分かっていない子どもを、人柱にする?
 だから後から行くなのか。
 もう、生きる力もなくなり、涙も枯れ果てたと思っていた。
 自分がこれから死に向かうことへも、恐怖も怒りも消えていた。
 それなのに、わたしの目から涙が伝い落ちる。
「ね・ね」
 いつかのように、子どもが頬を流れる涙を、その柔らかな指で掬い、慰めるように頬を両手で挟んで
見つめてくれる。
「うん。いつか、遊ぼうね。でも、すぐに来たらいけないよ。わたしが、あんたのために池の土手、し
っかり掴んでおくからさ」
 言葉の意味が分かったのか、分からないのか、子どもは首を傾げてから笑う。
「遊ぶ、約束」
「うん」


 村長の先導について、村を出て築かれつつある池に向う。
 土手には杭が打たれ、わたしを繋ぎとめるための縄も用意されているのが見える。
 わたしは人柱。
 生贄の子ども。
 なぜにわたしが生贄として命を落とすのかは分からない。
 でも、村を呪うことも、逃げることもしないでおこう。
 もちろん、人柱に効力があるのかなんて、しらない。 
 でも、わたしは神妙にこの役目についてやろうじゃないか。
 あの子どものを守るために。
 わたしを見つめてくれた、あの子のために。


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