「長い夜の過ごし方」



 今夜も用意は万端だった。
 赤いきのこ型のテーブルの上には、黄色いパステルカラーのミニポットと、小人さんが取っ手
に立ったマグカップ。紅茶のティーパックに、真っ白のミルクを満たしたミルクピッチャー。ひ
ざ掛けはお気に入りのピンクのキティーちゃんだったし、膝の上にはクマのぬいぐるみのトモち
ゃんも待機していた。
 あとは、いつも通り携帯がメールの着信を告げる音楽を奏でてくれればいいだけだった。
 いつもだったら、じっと携帯のランプが光り出すのを、今か今かとマグカップの湯気を顔に受
けながら待っているはずだった。
 だが今夜は。
「ジェンキンスぅ。今夜はエミ、とっても暇なのかも」
 じっとテーブルの上にある大福を見つめながら、エミこと、小林絵美は呟くのだった。
 話し掛けられたジェンキンスは、真っ黒な濡れたような瞳で見返すが、フンと鼻を鳴らすと、
机の下であごを下ろして眠りの体勢に入る。ジェンキンスは真っ黒なフレンチブルドックだった。
「ジェンキンスも、わたしとお話してくれないの………」
 落胆した声色で言って、エミは大福に手を伸ばす。
 小さな口に頬張って齧れば、中から赤いイチゴの果肉が顔を覗かせる。
「……会心の出来だったのにな。慎ちゃんももったいないことしたって分かってるのかな?」
 モグモグと口を動かし、はぁ〜と大きくため息をつく。
 彼氏のために作ったはずのイチゴ大福を食べる、冬の夜。
 ムクっと顔を上げたジェンキンスが、甘い香りにエミに擦り寄る。
「……現金な子ね。食べ物になると寄って来るなんて」
 ムスっと言ったところで、当のジェンキンスは早く寄越せと盛んにお手をしてエミの腕を叩く。
 指先に掬ってやったアンコを、ジェンキンスが涎を垂らしながら食べる。
「おいしいでしょ?」
 ジェンキンスは盛んに尻尾を振って、次、次と催促を始める。
 クルンと丸まった尻尾が揺れるさまに、エミは微笑みを浮かべて大福の半分をジェンキンスに
差し出す。
「今日は出血大サービスだからね。一緒に傷心のエミを慰めてよ」
 丸いジェンキンスの頭を撫でながらエミが言う。
 思い起こされるのは今日のお昼休み。
 うららかで楽しいお弁当タイムになるはずだった時間のことだった。
 

「………俺さ、やっぱエミのことよく分かんないや。……最初はそのわかんないところがミステ
リアスっていうのかな? ……興味わいてさ、顔もかわいいし。……俺的にキャーキャー騒いで
まとわりついてくる女どもより、物静かなエミがタイプだったんだけど。……それにしても謎過
ぎ。……いっつも何言っても反応はワンテンポ遅いし、反応薄いし。……物静かにも限度がある
っつうかさ」
 屋上の暖かな階段下が、いつもの待ち合わせ場所だった。
 階段を、エミにしては精一杯の駆け足で上り、そこに立っていた金髪頭の慎ちゃんの元へと駆
け寄っていった。だが、その直後に掛けられた言葉がこれだった。
 ええっと〜〜。
 差し出しかけていた大福を入れた包みが宙で止まり、話を聞きながらエミの首が傾けられてい
く。
 それっていわゆる。
「なあ、分かる? 俺の話」
「……うん。……つまり、わたしと別れたいってこと?」
 実感が伴わないまん丸な目で見つめて言われた慎ちゃんが、決まり悪げに頷いて目をそらす。
 顔をそらすとピアスの並んだ耳たぶがエミに向けられ、窓から差し込んだ太陽光に、シルバー
がキラリと光る。
 こんな話をされている時だと言うのに、呑気にキレイだな〜などと思ってしまう。
「始めっからムリだったのかもな。……俺みたいなバンドやってる男と、菓子作って鼻の頭に
クリームつけて歩いてるような呑気なエミじゃあさ」
「そうなの?」
「そうだろ?」
 建築科きってのイケメンで、バンドのギターをつとめる人気者の高校二年生。それが彼氏の
慎ちゃん。
 片や食物科で、いつも調理実習では最後の最後まで、はっきりいって休み時間まで調理をし
ているのが、ドジでのろまとどこかのドラマで聞いたことがあるようなエミだった。
 この二人が付き合い始めたことは、学校中の珍事件だった。
 決して同じ空間にいることはないだろうと言うくらいに、生きている次元が違いそうな二人
だった。
 その二人の出会いは、エミが調理実習でデコレーションケーキを作ったときだった。例のご
とく、3・4時間目の授業でみんなが手早く作りあげ、チャイムとともに教室を去った後で、
エミはただ一人、一心不乱に生クリームと格闘していたのだった。
 そしてすでにお昼休みも終了し、5時間目が始まるというそのときに完成し、食物科の担当
教師のもとへとケーキを運び出していたときのことだった。
「もしかして生クリームパックとか?」
 不意に声をかけられ、エミはケーキを胸の前に持ちながら振り返った。
「え?」
 鼻の頭に生クリームをつけていたエミ。それに声をかけた慎ちゃん。
 だがドジなエミは振り返ることに神経は使ってしまったがために、手の平は床と水平に保つ
ことを忘れたのだ。
「あ!」
 叫ぶ慎ちゃんの前で、ケーキは床へと滑り落ちていた。
 べちゃっと潰れるケーキ。
 それをスローモーションのような動きで見下ろすエミ。
「あ、ごめん。俺が変に声なんてかけるから。やべえ。どうしよう」
 これは泣かれるかもしれないと、覚悟でエミに駆け寄った慎ちゃんだったが、見たのは特に
慌てたでもなく、ポンと手をたたく姿だった。
「あ、あの。ここ誰にも踏まれたりしないように、見ててもらえますか?」
「あ、う、うん」
 うなずく慎ちゃんに、ニコっと笑いかけたエミがしたのは、そこへ食物科の先生を連れてき
て、床に接触していない部分を試食させるという考えても見ない行動だった。
「ね、おいしくできてるでしょ? 見た目はダメでも、味は保証」
 ハートマークが飛び出てきそうな笑顔で言われ、食物科のおばちゃん先生も、苦笑とともに
エミの頭を撫でるのだった。
「金髪のお兄さんも食べてみる?」
 まだ鼻に白いクリームを乗せたままの顔で見上げられ、思わずその笑顔にノックダウンさせ
られたのが、事の始まりだったのだ。
 五時間目の授業が始まってしまったが、一緒にケーキ塗れの廊下を掃除し、丁寧に「手伝っ
てもらってありがとうございました」と頭を下げられた後で、「よかったら、俺とつきあって
もらえないかな?」
へと発展していったのだった。
 それから3ヶ月。
 周りから奇異な目で見られながらも続いてきた関係だったが、ついに周囲の予想通りに別れ
のときが訪れてしまったのだった。
「えっと、慎ちゃんの彼女でなくなったら、……エミは慎ちゃんにお菓子を作ってあげたいな
ぁって思ったら、どうしたらいいの?」
「………俺のためには、もう作らなくていいから。っていうか、俺、あんまり甘いもの好きじ
ゃないし」
 その一言に、エミが目を大きく見開く。
「ええ?! そうだったの?」
「………今ごろ気づいたのかよ」
「じゃあ、何が好きなの? 言ってくれれば、エミ、作ってあげたのに」
「………だから、今は、俺の好きなものについての話をしているんじゃなくて……」
「あ〜あ、じゃあ、このイチゴ大福どうしよう。3つ作ったうちの二つは慎ちゃん用にって、
エミ、一つだけで我慢して持ってきたのにな」
「……………人の話、聞けよ」
 慎ちゃんはエミの耳たぶと掴んで引っ張る。
「いたたたたた」
 両手に大事そうにもった大福を見下ろし、エミがうな垂れる。
「メールは?」
「しない」
 言い切られたことばに、エミの肩がピクっと震える。
「もう慎ちゃんのおもしろ話聞けないの?」
「…………」
 エミのここ3ヶ月の唯一の楽しみが、夜に慎ちゃんとするメールだった。
 胸にクマのトモちゃんを抱き、足元にジェンキンスを従えて、照れつ、笑いつするメ―ルが、
何よりも楽しかったのだった。
「とにかく、俺、エミといるのに疲れちゃったの。だから、別れよ」
 そんなことに、うんって頷けるわけないじゃんか。
 エミは心の中で思いながら、何も言えずに俯いていることしか出来なかった。
 しばしの沈黙のあと、慎ちゃんのうわはきを履いた足元がイライラしたように動きだし、つ
いには去っていった。
「じゃあ、そういうことだから」
 エミの手の温度で伸びた大福が、変形してデロリンと手の平に張り付いていた。


 ちらりと部屋の時計を見上げる。
 てんとう虫のついた時計の針は、夜の9時をさしていた。
 いつもだったら、一生懸命に慎ちゃんへのメールを返している時間だった。
 携帯電話を手に取る。
 メールの受信記録には、延々と慎ちゃんの名前ばかりが並んでいた。
 慎ちゃんのメールはおもしろくて、いつも肩が震えてしまうくらいに笑ってしまうのだった。
 慎ちゃんが飼っている柴犬のハチ。そのハチに眉毛を書いた写メを送ってくれたこともあっ
た。それから、夜中に転んだギターが押し潰したのが、ハチのフンだったから、このギターは
運がついたミラクルハッピーをもたらすギターなんだ、とか。
「今日は、夜が異常に長いな。でも、まだ眠くないしな」
 いつもなら、気が付けば12時なんてあっという間に過ぎた時間になっていたはずなのに。
 ため息をつく。
 そのとき、なにを思ったのか、ふいにジェンキンスが立ち上がった。
 そしてトコトコと棚の前まで歩いていくと、赤い散歩綱を咥えた。
「え? こんな時間にお散歩なんて行ったことないじゃん」
 ヤダヤダと手を振るエミに、だがジェンキンスが「ワン」と一声吠えて、どうしてもと言い
張る。
「もう、しょうがないな。ちょっとだけだからね。変な人出たら、ジェンキンスが責任もって
戦ってよね」
 しっかりと防寒着を着込み、マフラーを巻いて、毛糸の帽子を被ったエミを、ジェンキンス
がグングンんと引いていく。
「お母さん、ジェンキンスの散歩にちょっとだけ行ってくる」
 玄関から叫べば、お母さんが何かを言っていたが、聞き取る前に外へと引かれて駆け出して
いた。
「ちょっと、ジェンキンス。いつもは運動嫌いなのに、どうしたっていうの?」
 運動靴を突っかけて走り出したエミだったが、家の前に誰かが立っているのに気づいて足を
止めた。
 ヤダ、早くも変な人に遭遇。いけ! ジェンキンス。
 リードの先で勢いよく駆けて行くジェンキンスを目で追う。
 すると、なにやらジェンキンスは、なじみの人間に愛想を振り撒くように尻尾を振り、見知
らぬ誰かの足に抱きついているではないか。
「な、ちょ、なにこの犬」
 そして聞こえた声。
「慎ちゃん?」
 ジェンキンスに捕獲された形になった慎ちゃんが、決まり悪そうに顔を上げ、エミの顔を見
て頷く。
「何してるの?」
「何って、ハチが散歩っていうからさ。俺も暇だし」
 慎ちゃんが手に握り締めた携帯を見下ろして言う。
「こんな時間に散歩してたら、慎ちゃん、不審者と間違われるよ。金髪だし」
「……う、うるせえ。おまえの犬だって、不審犬じゃねえかよ。初対面の人間に抱きつくなん
て」
 そう言われたジェンキンスは、今度はハチに近づき、クンクンとお互いの鼻を突きあわせて
ご挨拶の最中だった。
 ペロリとハチの鼻を舐めるジェンキンスと、喜んで尻尾を振るハチ。
 どうやら二人、いや、二匹は友達になったらしい。
「なんかさ。俺たち毎日メールとかしてたから、急にやらなくなると、なんかさ。……ちょー
っと寂しいっていうか、時間持て余すっていうか」
 言いながら、寒さに赤くなった鼻を擦る。
「うん。………わたしはうーーんと、寂しい」
 初めて聞くエミの率直な思いに、慎ちゃんは空を見上げた。
 そこに浮ぶ白い月。
「なあ、そういえば、今日の昼に大福持ってなかった?」
「持ってたよ。イチゴ大福」
「………俺、イチゴ大福は大好きなんだよな」
「それは残念だったね」
「ってことは、もう喰っちまったってことか」
「………まだ1個だけあるよ」
 エミのことばに、空を見上げていた慎ちゃんが顔を下ろす。
 そしてじっとエミの顔を見つめた。
「大福好きなバンドマンなんて、変!」
 珍しく言い切ったエミに、慎ちゃんがうっと後退りしながら顔をしかめる。
 でも、すぐに思い直したように口を開く。
「変だって、しょうがないだろ。だいたいエミを好きなる男なんて、俺くらいなんだよ。変なの
は百も承知だ」
 言ってからプイっとそっぽを向く。
 その子どもみたいな仕草を、エミはじっと見つめ、不意に笑い声を漏らした。
 笑われたことに顔を赤くした慎ちゃんだったが、咳払い一つで表情を改めると、いつものイケ
メンぶりを取り戻そうと姿勢を正す。
「エミ、夜は女が出歩くには危険なんだ。これからは犬の散歩をしたかったら俺を呼べよな」
「うん」
 二人は並んで歩き始めと、二匹寄り添うように前を歩く二匹の背中を見つめた。
 空には大きな大福のような白い月。
 その下を歩く甘いイチゴのようなカップル。ついでに犬のカップルも。
「あとでイチゴ大福あげるね。ちょっと、ジェンキンスが舐めちゃったかもだけど」
 自分の名前に振り返るジェンキンス。
「犬と間接キッスかよ。飼い主とだってしたことないのに」
「………ん?」
 意味深な慎ちゃんのつぶやきに、首をかしげるエミ。
「相変わらず鈍いことで」
 ため息をつく慎ちゃん。
 でも、しっかりとつながれた二人の手は、冬に負けないくらい温かかった。

 長い夜には、心行くまで犬と散歩を。



※注
ここに登場する人物、名称は実在する人やものとは関係がありません。フィクションです。
犬のジェンキンスは、友人Mちゃんの愛しのペットに出演していただきました。


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